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高田郁「出世花」

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不義密通の大罪を犯し、男と出奔した妻を討つため、矢萩源九郎は幼いお艶を連れて旅に出た。六年後、飢え凌ぎに毒草を食べてしまい、江戸近郊の下落合の青泉寺で行き倒れたふたり。源九郎は落命するも、一命をとりとめたお艶は、青泉寺の住職から「縁」という名をもらい、新たな人生を歩むことに―――。青泉寺は死者の弔いを専門にする「墓寺」であった。直擊に死者を弔う人びとの姿に心打たれたお縁は、自らも湯灌場を手伝うようになる。悲境な運命を背負いながらも、真っすぐに自らの道を進む「縁」の成長を描いた、著者渾身のデビュー作、新版にて刊行!!
(巻末内容紹介より)

現代でいうエンバーマー“おくりびと”の、お江戸を舞台にした短編集です。

江戸時代に実在したのかどうか定かではありませんが、「墓寺」というのがあるようでして。
いわゆる檀家を持たず、幕府の管轄にも入らず、死者のお弔いのみを専門とするお寺。あーあれですかね、今で言う宗派問わず永代供養墓地みたいなものですかね。

主人公のお艶は、駆け落ちして行方知れずの母親を父と探していたのですが、9歳で父親も亡くし、父を弔ってくれた「墓寺」に身を寄せます。

で、墓寺で暮すうちに自分も“おくりびと”業に使命感を感じるようになり、自らもお弔いの仕事をするように。

ちなみに墓寺の住職さんに、お艶は新しい名前をつけてもらったので、以降の主人公の名前は「お縁」となります。で、お仕事上のホーリーネームは「正縁」。

イナダ→ワラサ→ブリ、が出世魚というならば。

お艶→お縁→正縁、になった娘さんは、お魚ならぬ出世花と呼ぶのが粋ってもんじゃありませんか。

ちなみにこの「出世花」は、高校1年生の娘が夏休み読書感想文の課題図書として持っていた本なんですけどね。

学校の課題図書なんて、総じて道徳的なつまらない本と思っていたら…おや?最近の国語の先生って、本のチョイスがいかしてる?課題図書がつまらないと思ってたら大間違いでした。
これ、かなり、おもしろいよー。

正真は幼いお艶に、「見るな」とも「見よ」とも言わなかった。お艶は自らの意志で皆について火葬場に赴き、松の薪を組んだ上に座棺が置かれ、上から藁が被されて、着火されるのを見守った。座棺に火が移って、めらめらと勢いよく燃え上がり、やがて完全に焼け落ちると、炎の奥に身体を折り曲げた源九郎の姿が見える。橙色の炎が縄を舐め、解き放たれた源九郎の身体がゆっくりと動き出す。すべては火のなせる業なのだが、お艶は、恐ろしさのあまり合掌したまま身を震わせた。ぱちぱちと火の爆ぜる音に、正真の読経が柔らかに重なった。

現代の“おくりびと”も然りですが、墓寺の人たちも死者を棺に納める前には湯灌をして身を清め、死化粧を施し、場合によっては切り裂かれた死者の内臓を押し込めて、針と糸で縫い合わせたりもします。

この描写がねえ、結構なまなましく書いてますよー。死後硬直とか、漏れ出る体液とか、映像化はちょっとしづらそうな場面が多々。NHKドラマとかにしたら面白そうなんですけどねー。
舞台が舞台なだけに当然ですが、常にストーリーは人の死にまつわる内容で、決して明るくはありません。

墓寺に対する世間の評判も決して快くはなく、屍洗いと蔑まれたりもして、ひとつ間違えればドヨーンと暗い物語になりそうな題材ですが、そうはならないのが不思議なところ。

一冊を通して、なんだか妙にすっきりとした、爽やかな風が吹いているのです。

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長くまともな食事を取らなかったおみのの頬は気の毒なほど落ち窪んでいる。お縁は、そっと口腔に指を滑り込ませ、頬の内側に綿を含ませた。そして、用意しておいた紅を手の甲で溶いて、瞼と頬にそっと載せて指でぼかした。いつも毒々しい赤に染めていただろう唇には、ほんの少し、色を着けた。栄養不足で白くなった爪にも、一本一本、紅を塗り込む。化粧を終えると、おみのは何かいい夢でも見ているのか、微笑みながら眠っているように見えた。まるで天女みたいだ、と、てまりが呟く。

「出世花」は面白いし、読後感も良いし、とても良い感じの本です。

しかし、このブログを書きながらふと疑問に感じたのが、お寺の経済状況についてです。

檀家を持たないお弔い専門寺では、通常檀家から納められる管理費用のような定期収入が無いため、お弔いを行った際のお布施のみが収入源となります。

そうすると、1回あたりの費用というのは、それなりに頂かないと寺を維持管理していくことができませんよね。

エンバーミングなんて江戸時代に一般的だったとも思えないし、そもそも人間を火葬するだけの薪だってタダじゃありませんので、江戸時代の庶民の葬儀というのは、近親者が湯灌をして土まんじゅう、というのが通常でした。

ではこの墓寺で、顧客として想定されるのは豪商か、武家の中でもかなり階級が上か、つまりは富裕層だと思われます。

でも、金持ちで身分も宜しい世帯であったら、いわゆる普通の寺院の檀家になっている筈ですので、わざわざ“屍洗い”に弔いを依頼するか?という疑問が残ります。

いや、まあ、ね。そこいらへんは文中でもさりげなく回避策をとってまして、正縁ちゃんの卓越したエンバーミング技術が評判を呼んで、死化粧は是非正縁さんにとのご指名もある、という事なので、それを説明にしておきましょう。

但し例外もあり。
収録作「偽り時雨」で来たのは、今にも死にそうな女郎おみのの弔いをして欲しいと、女郎仲間からの依頼なんですけどね。

今にも死にそうって言ってもまだ死んでないし。当人が死ぬまで泊り込みで待機して欲しい(!)と。結局5日間もかかっちゃうんですよ。

依頼に来たときに女郎仲間のてまりは、代金代わりに値打ちものの鼈甲の櫛を渡そうとしますが「それは後ほど」と一回引っ込めた後は再び差し出そうともせず、何だかんだあって結局、その櫛はおみのの棺に一緒に納めたいって。おい、てまり!その櫛は代金代わりだった筈だろう!

まあね、どっちにせよその櫛は本物の鼈甲ではなくまがいものだったことを、正縁は知ってますし。もらっても一文にもなりゃしないですけどね。

てまりにも他の女郎仲間にも、費用を払えるほどの貯えがある筈もありませんし。

置屋の女将は、一銭も支払う気は無いと元から言ってますし。

5日分の出張費…出ないよな~。

往復の交通費…出ないよな~。

薪代…出ないよな~。

含み綿…紅…帷子…正縁ちゃーん!その部材代、全て持ち出しよー!丸赤字よー!

青泉寺とその僧たち、そして正縁の、仕事に対する誇りと使命感に対しては至極感服するところでもあり、「出世花」はとても面白いオススメ小説であることに間違いはありませんが。

正縁の明日の米は買えるのか、が、ちょっと心配。

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