モー娘。じゃなくおニャン子の時代、僕らの弱小高校野球部にスゴイ奴がやってきた!練習よりも『夕やけニャンニャン』。そんな僕らが、まさかまさかの甲子園。
(「BOOK」データベースより)
最近、フジテレビで『保毛尾田保毛男』が熱く語られておりまして。というか、炎上。
かつて「とんねるずのみなさんのおかげです」(あれ?「した」かな?どっちだろう)で人気だったキャラクターですが、2017年のLGBTをとりまく世情においては、まあ、炎上するのも予想されなくもない。
保毛尾田保毛男の再登場と、その後の炎上騒動に関してはコメントを差し控えますが。
時代は変わったものだなあ、と、思わざるを得ません。
五十嵐貴久の青春小説「1985年の奇跡」も、過ぎし遠い時代を象徴するような題材が取り扱われています。
遠い遠い昔、と言っても宜しいでしょうね。なんたって今から32年前の物語ですから。
32年前!1985年というと、ほんのちょっと前のような気もしますが(しない?)私 さくらが高校生か。そりゃあ、遠い昔の筈だわ。
私よりちょっと年上の五十嵐さんは、1985年当時20代前半。
五十嵐さんは、松田聖子の結婚に衝撃を受けたクチでしょうか。それとも、夏目雅子の死去に衝撃を受けたクチでしょうか。
あんなことあったよなあ、そうそう、こんなだったよなあ。
1985年が青春ど真ん中の人も、当時はまだ生まれてもいなかった人も、当時すでにオトナだった人も。
ちょっと振り返ってみましょう、イチキュウハチゴオ。
僕は『セーラー服を脱がさないで』を口ずさみながら、いつもの道をゆっくりと歩いた。おニャン子のデビュー曲は傑作だ。詞を書いている秋元という奴は、きっと偉くなる。
AKBの皇帝(?)秋元康が最初にプロデュースしたおニャン子クラブの「夕やけニャンニャン」がはじまったのがこの年。あ、厳密に言えばTV番組の方が先、そこから生まれたのがおニャン子。
1985年に秋元康の隆盛を予言している主人公のオカですが、この小説が発表されたのは2003年。まさか五十嵐貴久も、この数年後に秋元さんがAKB48をプロデュースして、さらに活躍するとまではお考えにならなかったでしょう。考えた?預言者?
ちなみに秋元さん、AKBに恋愛禁止しておきながら、自分はおニャン子のひとりと結婚してるんだぜ。恋愛禁止、説得力ないよな!
この小説内ではドリフ(ドリフ大爆笑)の記述のみ登場しますが、当時私たちの周囲では「俺たちひょうきん族」視聴者の方が多かった。たしか1985年あたりはあみだババアあたりが出ていたんじゃないかと…未だに『あっみだくじ(ババァ~)』の唄が歌える私。どんだけテレビっ子だったんだ私。
ちなみに、8月に日航機の墜落事故が起こったのもこの年。この小説でも、ちょっとだけ登場してます。
住宅事情で言えば、1985年当時はまだ畳が主流。いち早くリビングをフローリングにしていた沢渡くんは、友達から(板敷?実は貧乏なのか?虐待か?)と心配されてます。
さて。
この小説は高校野球が題材になっているのですが、グータラ野球部員の主人公達をやる気にさせた一人のピッチャー、沢渡くん。
彼の取り扱いを、現代の2017年において発表したら。
炎上するのか、しないのか。
ネタバレご容赦。
スポーツ推薦で野球の強豪校に進学した沢渡くんが、どうして野球をやめて、自分たちの学校に転校してきたのか。
その謎は、小説中盤で判明します。
同性愛者であった沢渡くんが、チームメイト(男)とキスをしている現場を見られて、野球部に居づらくなって学校を辞めたためでした。
2017年の今であっても、被差別者的な扱いを受けがちなLGBT。ましてや昭和の時代は、ホモとオカマの区別もなく、ホモが病原菌みたいに言われていたことも事実です。
転校先の学校の仲間たちも、沢渡くんがホモセクシャルであることを知り、しばらくは心に折り合いをつけるのが難しくもなります。
そんな彼等と沢渡くんを再び結びつけたのが、そう、野球。おお、青春小説。
『俺らのダチを追い出した野球エリート校のヤツらのプライドを、ズッタズタにしてやる!』
弱小野球部が一念発起して甲子園を目指す…というのは、ある意味ステレオタイプな流れと言えなくもありません。
「まさかこれで甲子園に行けちゃうような、ご都合主義が待っている?!」とご心配の向きはご安心召されよ。
さすがにそこまでご都合主義な展開は作者もいたしません。だけど、読者がこの小説に望んでいる、小気味の良さとスッキリ感は、ちゃんとご用意されてます。
「そういやあ、ラジオで秋元さんが言ってたんすけど」思いついたように鴨が口を開いた。「学校でウンコ漏らしたとするじゃないですか。それがばれると、何カ月でもからかわれ続けるんですけど、翌日学校に行って『昨日ウンコ漏らした石橋です』って言えば、そのままヒーローになれるって」
無言のまま、アンドレが大きな手で鴨の口をふさぐ。抗っていた鴨の目が急に白くなり、そのまま首を垂れて動かなくなった。ホモとウンコを一緒にされたのでは、沢渡もたまったものではないだろう。
だがコールはますます大きくなり、校舎のガラス窓を震わせ、隣の町まで届かんばかりの勢いになった。そのオカマコールは、とにかく絶対、誰が何と言おうと、温かかった。優しさに溢れていた。
—(中略)—
「ホモだろうとなんだろうと」カズがボールを投げた。「誰が見たってエースはお前だぜ」
ごめんなさい、この小説を全ての年代層が満喫できるかどうかは、ちょっと分かりかねます。
現在40代後半~50代前半の方々にとっては「1985年の奇跡」で思い出の小道を辿ることが出来てどストライクでしょう。
私の思い出の小道の中には、保毛尾田保毛男もちょっとは入ってたんだけどなあ。
この小説が発表されたのが、もし現代の2017年だったとしたら、この小説ですら炎上対象に入っちゃう可能性もあるのかなあ。
中身を読めば「ホモ」と「オカマ」を差別する意図ではないことは明確なんだけどな。読まない人ほど叩くのがこのご時勢だからなあ。心配だなあ。