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沼正三「家畜人ヤプー」

2000年後の宇宙帝国「イース」。拉致された日本人青年と恋人クララの運命の逆転。倒錯の性を通して、謎の作家が描く地球崩壊、人類破滅の極限状況は…。
(「MARC」データベースより)

書評ブログなるものを始めて半年余。自分が取り上げる本には、ある制約が存在する事がわかってきました。

「自分の好きな本を紹介する」という自ら課したルールの中でも、好きな本は何でもかんでも取り上げられる訳じゃない。

ひとつには『あまりにも好きすぎて書く内容がまとまらない』本。その代表格が、まだ取り上げていないアシモフの「黒後家蜘蛛の会」とか。田中芳樹の「銀河英雄伝説」とか。

たまに頑張って書いてみても、本に対する熱情が強すぎてからまわり。好例が「あしながおじさん」「続あしながおじさん」ですね。自分で記事を読み返してみても暴走っぷりが甚だしい。

そしてもうひとつが『この本を取り上げたら、自分が変な人だと思われそう』という、自らの自意識過剰さが科す制約です。

その筆頭が、この「家畜人ヤプー」だと言えるでしょう。

いやホント、マジで、この本が好きだなんて言ったら変人と思われるって。

リアル知人に『家畜人ヤプーが好きなんだ』と言われたら、少なくとも娘はそいつに近付けたくないと、私ですら思う。

マゾヒズムと、エロと、グロと、アングラと、差別と、ディストピアと、スカトロと、ペダントリィに満ちた“戦後最大の奇書”が、この「家畜人ヤプー」です。

電車の中では、読めないよ。

この本の世界は、現代からおよそ2000年後が舞台となります。その時代の帝国「イース」では、支配階級となっているのは、地球から移住した白人種。黒人は再び奴隷階級に堕ちています。(あ、宇宙人は出てきません。念のため)

そして我が日本人は?

日本人を含む黄色人種は、人権を認められない「ヤプー」として、人外の“家畜”扱いです。
ヤプー → ヤパーン →ジャパンですね。

家畜と言っても牛馬よりも劣る存在。畜人ヤプーは様々な生体改造をされて、のような擬似動物はおろか、金魚(!)椅子(乱歩!)便器(!)靴の中敷(!)

白人が生活する上で必要な、ありとあらゆる物体がヤプーを元に作られています。まあ、小説の中で一番登場回数が多いのは便器なんですけど。口を大きく改造されたヤプーが「セッチン」と呼ばれて「Oshic!(オシッコ)」の命令でイース人の股に口を当てて、た、食べるんですけど。

元来はイース人にも劣らないヤプーを“畜人”として成り立たせるために活用されるのが、“白い神(ホワイト・ゴッデス”に対する信仰心です。

白い神にお仕えするために日々立派な肉便器となるべく精進し、神様の糞尿を嚥下するのが喜びであり快楽であると。

細かいことを書き始めたら終わらないので、ここはひとつ実際の文章をご覧頂きましょう。

生理用ナプキン(!)に改造されたヤプーの、信仰の厚さと知性のほどを。

いわゆる着帯の儀では、これから彼女に使用されるべき一群のメンス・ミゼットたちが、自分たちの賛美歌を合唱しつつ、全員で、今後彼らの宿りの家となりT字帯をささげて進み、女主人に奉献するのである。

血はヤプー神腿基架す裁つた革(ちはやぷーかみももきかすたつたかわ)
唐紅に水漬くクルトは(からくれないにみずくくるとは)

(血はヤプーというのは、われわれはヤプーの一血統だ、という自覚と同時に、神血の処理は私どもにお任せ下さい、という任務に対してのプライドをも示す。神腿基架すは、腿の間にT字帯を装着することを、住居の建設にたとえて「基架」というむずかしい建築用語を使ったもの。裁つた革とは、前期の股当用に裁断したテックスキンのこと。唐紅に水漬くはいうまでもあるまい。クルトとは、メンス・ミゼットの第一号の名前——これは、彼が初めて使用された時、仲間が詠んだ歌である。)

初潮の少女がその一匹をつまみ上げると、黒奴従者がそれをテックスキンに装着し、さて帯を女主人に着用させる。その時、残りのメンス・ミゼットたちの歌う賛美歌がいっそうおごそかに、情感豊かに歌い上げられる。

此の度は幣帛も取りあえず手向山(このたびはぬさもとりあえずたむけやま)
紅葉の錦女神の随意に(もみじのにしきかみのまにまに)

(ぬさは、初期のメンス・ミゼットが携えた吸取紙。今は皮膚細孔の性能がよいので取りあえず、すなわち持たせない。手向山は、「ヴィナスの山」(mons veneris)に手向(装着)けられること。紅葉の錦はいうまでもない。——これはクルトが、当時、就役をヴィナスの山への旅にたとえ、女神から錦を賜る幸福を詠んだものである)

これが初着用の儀式であるが、初潮の時は帯はずしにも式がある。そのとき仲間を迎える賛美歌は——

聖孔と接唇なしつる極小畜を眺むれば(ほとときすなしつるかたをながむれば)
ただ真紅の経水ぞ残れる(ただありあけのつきぞのこれる)

(これはほとんど注釈の必要はあるまい。「ほと」「つき」いずれも記紀の用語である。初代メンス・ミゼットであるクルトが、全身の皮膚孔に神血を吸って真紅に染まって帰った姿を仲間がたたえた歌である)

この種のミゼットたち(メンス・ミゼットに限らない)の賛美歌は、先のヤプー賛美歌(第二三章1参照)とは別に、全百番ある。これが後世の『百人一首』になったのである。

えーと、まあ、こういう話ですよ。アセアセ。

男女逆転し、日本人が“畜人”に貶められるマゾヒスティックな快楽が、みっちりねっちりこってり一冊まるごと詰まっています。

私が「家畜人ヤプーが好きだ」と公言できない理由が、わかるでしょ?

もしあなたが「家畜人ヤプー」を読んでみようかなと考えたなら、悪いことは言わない。電車の中では読むな。

そしてあなたが見合いの席で、相手に「どんな本がお好きですか?」と聞いた答が「『家畜人ヤプー』です」と返されたら。

悪いことは言わない。そいつだけは、やめとけ。

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