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北村薫「街の灯」

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昭和七年、士族出身の上流家庭・花村家にやってきた女性運転手別宮みつ子。令嬢の英子はサッカレーの『虚栄の市』のヒロインにちなみ、彼女をベッキーさんと呼ぶ。新聞に載った変死事件の謎を解く「虚栄の市」、英子の兄を悩ませる暗号の謎「銀座八丁」、映写会上映中の同席者の死を推理する「街の灯」の三篇を収録。
(「BOOK」データベースより)

北村薫の昭和初期上流階級お嬢様探訪、再び。
先日ご紹介した「リセット」では、戦前セレブ生活は物語中の1エピソードという扱いでしたが、この「街の灯」はゴリゴリっと全編THE・戦前昭和。THE・上流階級。
また、こちらの方が「リセット」よりも、さらにお嬢度合いがアップしております。「街の灯」の主人公 英子は女子学習院に通う、元士族のご令嬢。お父様は財閥系の商社の社長で、お爺様は高名な軍人と、華族とまではいかずともパリンパリンの昭和セレブの家っすね。
通学時には専用のフォードが送り迎えをし、ばあやや姉やがお供について、街中を一人歩きなど滅相も無い!の、in箱娘であります。
 

で「街の灯」から続く3冊の“ベッキーさんシリーズ”は、その英子お嬢様の日々と、その中にあるちょっとした謎を描いた小説です。
あ、ベッキーさんというのは英子の専用運転手「別宮(べっく)」さんのアダナです。とある外国小説の主人公から英子が名付けました。このベッキーさんがなかなか良いのですが、それは後述として。
 

「街の灯」の1冊だけをとってみれば、内容は北村薫お得意の“日常の謎”が主題で、特に大きな事件もないのですが、ベッキーさんシリーズを3冊通して言えば、描かれている時代はちょうど「五・一五事件」から「二・二六事件」までとなります。
正確に言えば、シリーズ最終巻の「鷺と雪」のラストが、二・二六事件の当日まで。
巻を追うごとに時代の雰囲気はキナ臭くなりますが、この「街の灯」においてはまだ、英子は平和で優雅な日常生活を送っております。
いや、平和じゃないか?考えてみれば「街の灯」の一編でも英子は殺人事件に出くわしてますね。でも物語上さして重要ではありません…って、殺人をさしたる事件じゃないと片付けてしまう私もいかがしたものか。

英子の専属運転手となった別宮みつ子。通称ベッキーさん。
この人がまあ素敵なこと!凜として、イカした格好の良い職業婦人です。
戦前のあの時代、職業婦人と呼ばれる女性は多かったにしても、女中や女工、カフェーの店員かバスガール。自動車の運転ができる人もまだ少ない時代に、女性ドライバーなんて異例中の異例でした。
それが、耳隠しをバッサリとモダンな短髪にした細身の美貌で、スッキリと制服を着こなし、外国製の大きな自動車を駆るベッキーさん。彼女こそが、このシリーズにおける最大の謎です。
突如襲い掛かってきた暴漢に武術で立ち向かい、制服の胸の内に拳銃を忍ばせ、どうやら英語も堪能な模様。
この人何者?!ベッキーさんが英子の運転手になった経緯と彼女の素性は、英子の父親だけしか知りません。少なくとも、この「街の灯」の間では。
 

謎めいたベッキーさんの正体を考えながらも「街の灯」では英子が“日常の謎”を解きつつ成長していく姿も、読んでいて気持ちが良い。
英子ちゃん自体、かなり地頭の良いお嬢さん。自分の境遇や立ち位置について、少女らしい潔癖さで想いを馳せたりしております。
 

英子が夏の避暑地でとある事件に巻き込まれた後、貧しい庶民の暮らす部落を車で通り抜けた際に、胸の鬱屈を吐くシーンがありました。

「ああいう人達は、ご飯とかちゃんと食べているの」
「貧しいといえば、あのような家も持たない人は幾らもおります。ご承知でしょうが、東北の方では、飢えのために、かなりひどい話も出ております」
「わたしは、朝昼晩、食べるものがあるのを当たり前だと思っている。気に入らないと残したりする。この世には、そうでない人が幾らもいるわけよね」
「残念ながら、さようでございます」
「井関さんが、瓜生家の使用人でなかったら、当然、全ての扱いが違っていた。そういうことを考えると、我々のような人間とそうでない人達のいることは、とても不当なことに思える。でも、実際に、今のような家を見て、《あそこに住め》といわれたら、震えてしまう。とても出来ない」
「お嬢様——」
とベッキーさんは、静かにいった。
「《あのような家に住む者に幸福はない》と思うのも、失礼ながら、ひとつの傲慢だと思います」
わたしは、やさしく叩かれたような気持ちになった。

ここの箇所が好きでしてねえ。ベッキーさんの優しさと、英子の成長を感じることができる場面です。
これが「謎解きはディナーの後で」だったら『お嬢様は馬鹿でいらっしゃいますか』と影山に言い捨てられた可能性もあるかと思うと、えええ英子ちゃんラッキーだったねえ。
 

「街の灯」は、いかにも北村薫っぽい、どこかほんわかした温かみのある一冊です。
で、まあ、この本を手に取るときには、予めシリーズ続きの「玻璃の天」と、最終巻「鷺と雪」も横に置いておいた方が良い。三冊揃ってはじめてシリーズ全体の線が繋がります。
この「街の灯」でも話は完結するし、これだけ読んでも充分に面白いんですが、多分きっと「玻璃の天」と「鷺と雪」も読みたくなるだろうからね。
どうせ陥る次作の入手までの焦燥感を予め排除してあげる、さくらさんってやっさしーい。仕事、はっやーい。

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