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ジャーク・ドレーセン,アンヌ・ベスターダイン「おもいでをなくしたおばあちゃん」

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ペトラはママといっしょに、老人ホームにすむおばあちゃんに会いにゆきます。ペトラのこともママのことも、すっかりわすれてしまったおばあちゃんに、ペトラは…。こどもに読ませたい、しずかな愛にみちたものがたり。
(「BOOK」データベースより)

遠い昔、父とタンゴを踊ったことがある。

……ハイ、ここでゴッドファーザーの結婚式シーンを思い浮かべた人、残念でしたー。
舞台は浅草裏通りのしょぼいスナック。私はTシャツにジーパンにすっぴん。しかも当時の父はパンチパーマだ。

いったいどうして親子でタンゴを踊る羽目になったのかは全く覚えていませんが、脳裏に浮かぶ思い出は、ノスタルジックでもファンタジックでもなく、滑稽

今思い出してもこっぱずかしいですわ。ひー。

時は流れて。
我が父も齢85。パンチパーマは白い短髪に変わり、認知症の診断がされて現在老健(介護老人保健施設)入居中。
すっかり油っ気も抜けて枯れちゃって(かなぁ?)もうタンゴも踊れないだろうなぁ。

「夏草荘」は、おかの上にたつ老人ホームです。
まどが たくさんあって、まどの下には、草原が広がっています。
そして夏になると、花がさきみだれます。

ペトラとママは、おばあちゃんに会いに行くのです。

ところで最近、認知症を題材にした絵本とか児童書って多いですね。

たしか昨年2018年の小学生向け夏休み課題図書のひとつでもあったような気が(ウロ覚えです、すいません)

日本の書籍しかり、外国の書籍しかり。子供に対して「認知症とは何か」を教える啓発絵本の目立つこと目立つこと。認知症が日本だけじゃなくって地球規模の課題なのだなあと思わざるを得ません。

「おもいでをなくしたおばあちゃん」もそのひとつ。

主人公はペトラちゃん。&ママ。そしてペトラのおばあちゃんin老人ホーム。
脇役としてちょっと登場するのは看護師さん。看護婦さんじゃなくって看護師さんってところが21世紀(2011年)出版って感じがしますね。

ママはキスしたかったのですが、
おばあちゃんは すぐに目をそらしました。
そして、うつむいてママにたずねました。
「おくさま、コーヒーはいかがですか」
ママは だまっていました。
しんとして、おたがいの いきづかいが聞こえるほどでした。

ペトラのおばあちゃんが暮らす老人ホーム『夏草荘』は、見ることろなかなか快適な施設のようでございます。

床はピカピカ、辺りにただようせっけんとワックスの香り。廊下の壁には素敵な絵がいくつも飾られて、窓の外に見えるは広い草原。お天気が良ければ外へのお散歩もどうぞご自由に。たぶん外出届とかいらない。徘徊防止の施錠付きエレベーターとか、たぶん、無い。

でもね。施設の快適さと、気持ちってのは必ずしも正比例じゃないからね。家族の気持ちも、本人の気持ちも。

ママとおばあちゃんは、はコーヒーをのみ、ペトラはクッキーを食べました。
ママは おばあちゃんを見つめ、「元気なの?」と たずねました。
「わるくないですよ おくさま。ぐちをいったら ばちがあたりますからね」
おばあちゃんは、それいじょう しゃべろうとはしません。

ペトラのおばあちゃんは娘(ママ)のことも孫(ペトラ)のこともすっかり忘れてしまい、ママが「あなたのむすめなのよ」と言っても「むすめは なくなりました。6さいのとき、川でおぼれたのです」と、死んだ妹と間違える始末。

これは、我が身に置きかえるとけっこう胸に来るモノがあります。

今のところ我が父は私のことを忘れちゃいませんが、いつかは忘れてしまうんだろうなー、の“いつか”“もうすぐ”になってきているのを感じます。

すこーしずつ、すこーしずつ、いろいろなことを忘れていっている父を見るに、想像がつきますのよ。いつかはペトラのママと同じ台詞を言う日がくるんだろうなと。

——で、ですね。

「おばあちゃんは全て忘れてしまいましたハイおしまい!」じゃ、子供向けの絵本にはならないわけで。

大人向けだったとしても、あまりにも胸ふたぐもので。

おばあちゃんは、はっと目を見ひらいて顔を上げました。
そしてたずねました。
「どうして おまえが その歌を知っているんだい?」
「その歌は お母さん、あなたが わたしに教えてくれたのよ。
そして、わたしがペトラに教えたの」と ママがせつめいしました。
おばあちゃんは、
「もういちど歌っておくれ。さあ」と たのみました。

何度も何度も古い歌を口ずさむペトラちゃん。その歌に合わせて、草原で踊る2人。「エマ。おまえは エマなんだね」

エマっていうのは、ペトラちゃんでもママでもなく、6歳で死んだ妹ちゃんの名前なんですけどね。そんな小さな間違いなんて、ペトラもママも気にしない。

多分、同じ立場であっても私も気にしない。

気にしないだろうことは、今の私なら想像がつく。

帰りの電車の中、ペトラとママが よりそうようにして すわっています。
2人は しずみゆく夕日を、じっと見つめていました。

「わたしに子どもができて、ママが、わたしの名前もわからないほど
年をとったらね」
と ペトラが言いました。
「ママの前で その子にあの歌をうたわせるからね」
ママは思わずペトラを だきよせました。
「そうしたら、草原の上で いっしょにおどるわ」
ママは そう言って ほほえみました。

遠い昔、浅草のしょぼいスナックで父と踊った、タンゴの曲は何だっただろう?

今思い出しても滑稽でこっぱずかしくって「ひー」とは思うのですが、でも今ならばもう一度、「踊れっつうんだったら踊ってやってもいいぜ」くらいには言えるのですよ。

決して決して「踊りたい」とまでは言いませんけどね!

何を口ずさんだら、父は踊りだすのかしら。ラ・クンパルシータか黒猫のタンゴか、あと何があるだろう。

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