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ふくべあきひろ,かわしまななえ「いちにちおもちゃ」

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楽しい擬音に、ユーモア満点のイラスト、親子で読んで思わず笑える、愉快な絵本。
おもちゃを大事に扱わないお子様、おもちゃをお片づけしないお子様に、おすすめの一冊!
(PHP研究所 内容紹介より)

「いちにちぶんぼうぐ」に続き、GOD松下幸之助が送るいちにちシリーズ(送ってないし)
 

「いちにちぶんぼうぐ」は、『お勉強が苦手なお子様に。』というアオリ帯文が入っていましたが、こちらにも同様のアオリ文がございます。
 

『お片付けが苦手なお子様に。』
 

相変わらず教育的ですねGOD松下。ビジネスの世界って油断も隙もありませんねGOD松下
 

しかしながらねえ。絵本を開くと、帯文から親が期待する教育目的はどこへやら。
相も変わらずのイカす『顔芸』で、親も子も爆笑の渦でございますことよ。
 

『いちにちコマ!』では、ぐるぐる回って「ぐるぐるぐる~。おえ おえ~」と三半規管に大ダメージをくらったり、
『いちにちけんだま!』では、先端の棒にお尻が、え、えとね、カンチョー状態になったりしてね。たたた大変なんですよ。
 

しかしながら「いちにちおもちゃ」一番のヒットは『いちにちカスタネット!』でしょう。
これは是非、実際の絵本を読んでください。あの絵は実際に見て欲しい。「進撃の巨人」あたりがお好きな方ならば、きっといちにちカスタネットの魅力がわかってくれる筈。
いや、もう、イカすから。触りたくない叩きたくないカスタネットよ。

絵本のラストでは、きちんと教育的な指導の着地点があります。

ふう~。
おもちゃって たいへんだなあ。

いちにち おもちゃで
あそんだら、ちゃんと
おかたづけしてあげなくっちゃ。

さすがGOD松下(しつこい)絵本を読み聞かせつつ児童にお片付けの大切さを刷り込む、見た目と反して至極マットウな着地10.00。
でもさあ、これ、違う感想を抱く子供なんていたら、どうする?
 

もしもだね。おもちゃが苦難の日々を送っていることを知った純朴なオコサマ
『おもちゃはいつも酷いことされて可哀そう。ボクはもうおもちゃを使わないよ!』涙いっぱいの純粋な目で言われたら?
 

唐突ですが、沢木耕太郎の「深夜特急」という自伝的紀行小説がありまして。
かつての青年をこぞってインドに送り込んだバックパッカーのバイブル的な存在。
 

その中で、主人公の「私」がインドで出会った日本人2名と共にリキシャ(人力車)に乗ることになって、こんなやりとりをしたシーンがあります。

「一ルピー出すのはいいけど、一台に三人も乗っていけるのかい?」
私には無理なように思えた。悪いことに、私たちは三人が三人とも、百八十センチ前後の、日本人としてはかなりの長身ぞろいだった。しかも、リキシャの前に立っている男は、頬がげっそりと落ち、シャツの下では肋骨が浮き立っているのではないかと思われるような痩せ方をしている。
「引っ張れるかな」
医大生もかわいそうではないかという響きをこめて言った。
「それが仕事だからね」
「でも……」
医大生がなおも言いつのろうとすると、ダッガ行きの若者がかなり強い調子で言った。
「かわいそうだからって、乗らなければ、彼には一ルピーも入ってこないんだよ」

何を言いたいのかというとですね。
「かわいそう」でオモチャ達の仕事を奪ってしまうような事態が起こったら、オモチャ自身が困りゃしないかってことですよ。
インドのリキシャ引きと違って、オモチャは使われても使われなくても金銭的な利益も損失も生じませんが“遊ばれてこそのオモチャ”の存在意義がゆらぎゃしないかね、と。
 

そもそも『おもちゃはいつも酷いことされて可哀そう』なんて純粋無垢な子供がイマドキ存在するかってのも疑問ですけどね。
そして、オモチャ自身が果たして、子供に遊ばれることに喜びを見出すトイ・ストーリー的な望みがあるのかどうかも疑問ですけどね。
 

GOD松下、教えて欲しい。子供の気持ちはどうですか。そしてオモチャの心はどうですか。
『わしゃ経営の神様じゃ!同じ神様でも畑違いじゃ!』なんてかたいこと言わずに、頼むよGOD。

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