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おおたとしまさ「追いつめる親「あなたのため」は呪いの言葉 」

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人間関係がうまくいかない、生きている実感がわかない、怒りがコントロールできない…そんな、満たされない感覚が常にあるのだとしたら、もしかしたらあなたも、被害者であり加害者なのかもしれない―「あなたのため」という親から子への依存の闇を照らす「親子救済」の書。
(「BOOK」データベースより)

教育虐待という言葉を知ってますか?

「教育虐待」とは、「あなたのため」という大義名分のもとに親が子に行う、行き過ぎた「しつけ」や「教育」のこと、と定義されています。

行き過ぎた教育が子供を追いつめた結果、親を子供が殺した事件とかもありましたねえ。

古くは金属バット殺人事件とか。最近でも、教育虐待が遠因となっているのじゃないかと推測されるようなニュースがあった。

でも、教育虐待を受けている子供たちのみんながみんな、親を殺す訳じゃない。

親を殺せない子供たちは、自分を殺す。

「追いつめる親」に登場する虐待の被害者は、かなりの頻度で自傷行為を行っているか、あるいは、自殺したか、です。

巻頭に「身近にこんな人がいる人は読んでください」というチェックリストがあります。

身近にこんな人がいる人は読んでください
□「自分はダメな子」と思って育ってきた
□DV、モラハラの被害者または加害者となった経験がある
□いい学校に行かないといい人生を送れないと思っている



□今日、子供が生きていることを当たり前だと思っている

最後の項目でドキッとした人は、おそらく多いと思う。

でもね、気がついた?これって「身近にこんな人はいる人は…」って書いてあるの。「自分が教育虐待をしてるんじゃないかと思った人は…」とは書いてないの。

何故なら教育虐待の加害者となり得る人は、この本を手に取ることはないんだよ、多分。

自分の行動に一片の曇りもないと信じている人は、この本を読まない。

教育虐待という言葉から目をそらす人は、この本を読まない。

そのために著者おおたとしまさ氏は「身近にこんな人はいる人は…」と、ぼやかした言い方をしたのだと思います。

だから、私もほんのむしで、この本を紹介しようと思います。本当はまだ自分の中で咀嚼できていない部分が大きいんだけど。上手く伝えられる自信はないんだけど。

でも、この本の紹介を載せることによって、広いインターネットの海の向こう側にいる、どこかの「身近にいる人」に届けられたら良いと思うんだ。

「“いいこ”はSOSを出せないんです。昔だったら中学くらいで反抗期があって、高校生くらいになるくらいには親もだいたいあきらめたんです。だからこそ、子供たちはまともに育ったんです。でも今は親が強い。学歴が高い。経済力もある。今の子供は高校生になっても親に逆らえない。うちの子には反抗期がありませんでしたという親がときどきいますが、親に反抗しない子が“いい子”とされてしまう世の中です。子供に逃げ場がないから、殺人、自殺、うつ病などにいたってしまう。もうそれしかないのです」

上記は、カリヨン子どもセンターという社会福祉法人の理事長の言葉。

「追いつめる親」は、カリヨン子どもセンターをはじめ、いくつもの団体や施設への取材を元にして著述されています。

長引く不況、就職難、終身雇用制度の崩壊、経済のグローバル化、変化の激しい時代など、世の中の先行きに対する不透明感の中で、子供の将来に不安を感じる親が増えている。・・・(中略)・・・少しでも有利に世の中を渡り歩いていけるようにと、たくさんの教育機会を与えようとする。本当に必要なものがなんなのかわからなくて不安だから、念のため、あれもこれもと子供にやらせる。だからきりがなくなる。どこまでも追いつめてしまう。
おまけに少子化できょうだいが少ないぶん、一人の子供にのしかかる親の期待と不安は倍増している。しかも核家族。
家の中には不安とプレッシャーが渦巻いているのかもしれない。

この本を読んだ人の中には、取り挙げられている教育虐待の内容をみて「なーんだ、ウチはここまでやらないよ」と思う人もいるかもしれない。

成績下がったら深夜まで寝かせずに土下座で謝らせたり、体罰を加えたり、拘禁したり。ある意味わかりやすい“虐待”が描かれていますので。

じゃあ「教育熱心な親」と「教育虐待をする親」の境目ってどこにあるんだろう?

うまくいけば「教育熱心」、うまくいかなければ「教育虐待」?

しかし「追いつめる親」に出てきた子供の中には、大人になってから精神的な不調が“やっと”表面化した人もいます。

それが母親から自分の人格否定をされ続けたことによる、自己肯定感の低さが原因であると、

大人になってから“やっと”女性は分かりましたが、当の母親はそれを知らない。

子供の頃にトラブルが発生しなかったその女性の母親は『自分の子育ては上手くいった』とずっと思っているのかもしれません。

一度死のうと思った子供の親は「ただ、生きていてくれればいい」と、それだけを願うようになるという。いい成績なんてとらなくてもいい。学校なんて行かなくてもいい。わが子が生きているだけでありがたいと思えるようになる。逆に言えば、その気持ちを忘れていたからこそ、子供はわが身を犠牲にしてまで、それを伝えなければならなかったということだ。
普段、親は、毎朝子供が起きてきて、文句を言いながらも学校に行き、自慢できるほどではない成績をもらって帰ってくることを当たり前だと思ってしまいがち。そこに深い闇につながる落とし穴が潜んでいる。当たり前の上にあぐらをかき、知らぬ間に、子供の人権を侵害してしまっていることがあるのだ。
(章:ただ生きていてくれればいい)

先程の女性の親は、自分が教育虐待の加害者であったことなど、夢にも思うことはないでしょう。当時も、今も。

だって、その子が“わが身を犠牲にしてまで、それを伝え”なかったから。

だとしたら、親自身が「教育熱心な親」か「教育虐待をする親」かを見分けることって、どうすれば出来るんだろう?

私にはわからない。「追いつめる親」にも、その答えは書いてない。

仮に「世の中は弱肉強食だ。友達よりもいい点数をとりなさい」とか「今勉強してしておかないと、大人になって負け組になってしまうぞ」などという競争原理を持ち出すことで勉強をがんばるようになる子供がいたら、それこそ気持ちが悪いというものだ。その子は勉強を「社会的有利を得るために行う役務」だと考えていることになる。
まさに、教育虐待をしてしまう親の心理と同じだ。
そんなメッセージを伝えれば、まともな子供ほどますます勉強からそっぽを向く。間違ったメッセージは、子供にとっての勉強や教育というものの価値をおとしめてしまう可能性がある。
(章:なぜ、勉強しなくちゃいけないの)

明確な答が書いていないのは、上記に対しても。

じゃあ結局「どうして勉強しなきゃいけないの」には何て言えば良い訳?と聞きたいのは山々ですが、おおたとしまさ氏は「唯一無二の正解はない」と。何だよう~。それを聞きたいんだよう~。

その後の章で、おおたとしまさ氏なりの意見は記載されていますが、それでも唯一無二の正解はないという結論は同じ。

それぞれの家庭、それぞれの子供で違うってことは、そりゃ重々わかっておりますよ。それぞれの親が考えるしかないってこともね。

でもさあ、それぞれの家庭の親が精一杯子供の未来を考えた結果、教育虐待という現象が発生しているんじゃないの?

親の判断と行為が、必ずしも正しい方向に向かうとは限らないから、それが起こってるんじゃないの?

子供のSOSが出てこない限り親がそれに気付かないとしたら、一体どうやって、親が子供を、親自身から守ればいいわけ?

子供は自分とは別の人間だと思えていますか?
子供の人生は子供が選択するものだと認められていますか?
子供の人生を自分の人生と重ねあわせていないですか?
子供のこと以外の自分の人生を持っていますか?
⇒ これができていないということは、親が子供の人生に依存しているということ。「共依存から虐待ははじまる」と坪井さんは指摘する。
(章:教育虐待に陥らないために、親が自分自身に対して問いかけるべきこと)

例えば上記の質問を、どの親に聞いたとしても「もちろん!」と答えると思います。今現在、教育虐待と思われるような行動をとっている親に聞いたとしても。

教育熱心であればあるほど「もちろん!」と答える率は高くなるかもしれない。教育に対して熱心な層は、少なくとも表面的にはリベラルたらんと意識する層に重なる気がする。

それが、恐ろしいです。

何が恐ろしいって、自分自身が恐ろしい。

自分の考えていること、自分の願っていること、自分がやっていることが、果たして正しいのか正しくないのか、自分ではわからないから。

子供の人権には三つの柱があると坪井さんは言う。「生まれてきて良かったね」と言ってもらえる。「ひとりぼっちじゃないからね」と言ってもらえる。「あなたの人生はあなたしか歩めない」と認めてもらえる。
「要するに、私たち大人がすべきことは、この三つだけなんです。逆に言えば、これ以上のことはできないんです。要するに私たちは無力なんです。結局子供と一緒にオロオロすることしかできないんです。でも、それを認めることから、子供たちへの支援ははじまります。何もできなくても、ずっとそばにいてあげて、とにかく生きていてほしいと伝えます。それが重要なのです」

とにかく生きていてほしい。それは当然、自分の娘に対して一番に願う気持ちではあるけれど。要するに自分が無力なこと。結局子供と一緒にオロオロすることしかできないということ。

自分の姿を正しく見せる、鏡があれば良いのに。

すみません、私は「追いつめる親」を、まだ自分の中で咀嚼できていません。だから結論を上手く伝えられることはできない。ごめん。

でも私はこの本の紹介を載せることによって、広いインターネットの海の向こう側にいる、どこかの「身近にいる人」と一緒に悩みたいんだ。

子供の幸せを願っているのはどの親だって同じだから、一緒に知りたいんだ。自分が無力であることの、知り方を。

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