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北村薫「スキップ」

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昭和40年代の初め。わたし一ノ瀬真理子は17歳、千葉の海近くの女子高二年。それは九月、大雨で運動会の後半が中止になった夕方、わたしは家の八畳間で一人、レコードをかけ目を閉じた。目覚めたのは桜木真理子42歳。夫と17歳の娘がいる高校の国語教師。わたしは一体どうなってしまったのか。独りぼっちだ―でも、わたしは進む。心が体を歩ませる。顔をあげ、『わたし』を生きていく。
(「BOOK」データベースより)

“時と人”シリーズ三部作。

女には賞味期限があると知ったのは、渋谷の街角でした。

あれは30歳を過ぎていたかいないかは定かではありませんが、友人と渋谷で待ち合わせをしていた時です。

なかなか来ない友人を待っている私の前を、スカウトマンが通り過ぎました。見た目的には芸能事務所のスカウトじゃなくて、水商売関係のスカウトマン。

ああ、スカウトマンも頑張ってお仕事してるなー、と、ぼんやり暇つぶしに彼を眺めて30分。

彼が3回目に私の前を素通りしたとき、気がつきました。

『あ、私の賞味期限、切れてる』

いつの間にやら自分自身が、ナンパやスカウトのターゲットから外れていたことに気付いてびっくりした私です。年齢なのかビジュアルなのか雰囲気なのか、理由はわかりませんが。

いやあのね、ナンパされてもスカウトされても別に嬉しくはありません。声かけられてもウザったいだけ。でもね、気付いたら自分が“対象外”になっていたという事実は、正直言ってけっこうな衝撃だったし、それに衝撃を受けた自分自身についても衝撃だった。いや、ほんと、自分自身にびっくりした。

女には賞味期限がある。

フェミニズムの観点からはお叱りを受けそうな発言ではあれど、女の賞味期限は、厳然としてある。

そして北村薫の「スキップ」は、ピッチピチの17歳の、これから出荷して市場に並ぶ寸前の果実が、スキップして42歳のスーパー見切り品に変貌してしまうお話です。

まどろみから覚めたとき、17歳の<わたし>は、25年の時空をかるがる飛んで、42歳の<わたし>に着地した。

おおお恐ろしい、四谷怪談よりも恐ろしいホラー小説。なんて残酷なスキップ。そんないらないオクラホマミキサー。

42歳の<わたし>が、自分自身の肉体を鏡で見つめて『嘘、嘘、嘘』と慨嘆するシーンがあります。

えーと、そりゃそうだよな。かつての自分が峰不二子バリのボッキュッボンではなかったにしても、出産経験のある四十代の身体に変わってしまったら、どれだけ鏡を見るのが恐ろしくなるものか!四十過ぎて白髪を見つけたらどれだけ背筋が凍ることか!私自身が40を過ぎて再読すると、そのハンパねぇ恐怖が身に染みてわかります。いやー、私も現在のビジュアルを、17歳の乙女心のままで経験するのはちっと辛いぜ、ちっとな。

で、まあ、これがね。

SF的な設定で時空を“スキップ”したのか、それとも42歳の桜木真理子さんが記憶障害に陥って、25年間の記憶を失ったのか、それは定かではないのですよ。

彼女の夫も、一ノ瀬真理子と同じ17歳で42歳の桜木真理子の娘も<わたし>の状況を記憶喪失として扱っています。だったらちゃんとした病院連れてってやれよという気もしますが。

「スキップ」においては、精神のタイムスリップだろうが、記憶喪失だろうが、どっちでも良い話なんです。

なぜなら、この話は一ノ瀬真理子を過去の世界に戻すための話ではないから。

「スキップ」は、17歳の一ノ瀬真理子が、42歳の桜木真理子として生きていく、そして生きることを受け入れるための話です。

兼業主婦である桜木真理子は、高校の国語教師として“スキップ”後も教壇に立ちます。

よく出来るなあ、とか思うんだけど。一ノ瀬真理子が国語の成績が良かったにしても、教師ってそれだけでなれるもの?そんな簡単なんですかねえ?夫も状況が分かっていながらよくもまあやらせるもんだ。教師スキルゼロの現国教師に自分の娘を委ねて、国語の成績下げても良いのかお父さん?

で、まあ、何故かなんとかなる。学校内でもちょこちょこ何だかんだのトラブルはあれど、まあ何故かなんとかなります。

夫と子供とも、何だかんだの話し合いはあれど、まあ何故か収まるところに収まります。さすがに17歳の一ノ瀬真理子としては、知らない男性をそのまま夫としては受け入れられなくても、まあそこらへんは落ち着くところに落ち着いて。

17歳の一ノ瀬真理子は、42歳の桜木真理子にかるがるとスキップして、時空を超えて生きていく。

めでたしめでたし。

…で、良いの?

さくら自身が桜木真理子さんと同じ年代になって、「スキップ」のもうひとつの残酷さに気がつきました。

桜木真理子の25年間って、どこに行っちゃったんだろう?

17歳から先、進学して、就職して、いくつかの恋愛をして、結婚して、子供が産まれて、子供が大きくなって。

その蓄積がすっぽり抜けた“新・桜木真理子”の誕生は、“旧・桜木真理子”の死亡と同じじゃないですか?

だって私、忘れたくないもの。娘の赤ンぼ時代の匂いも、ちっこい手も、忘れたくないもの。
過去の25年間の全部が全部、良かったことばかりではありませんが、良かったことも悪かったこともすっぽり失くして生きて行くのは、嫌だなあ。

女の賞味期限は終わったとしても、その代わりに得るものがある。

世の四十代女性達よ、貴女もきっとそうでしょう?あれやこれやの経験と思い出が、今の私と貴女を作っているのよ。

と、信じて、生きていこう私も貴女も。渋谷のスカウトマンなんざ、ほっとけや。

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