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乃南アサ「いちばん長い夜に」

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前科持ちの刑務所仲間―それが芭子と綾香の関係だった。“過去”に怯えながらも、東京の下町に居場所を見つけて、ゆっくりと歩き始めた時、二人は自分たちの大きな違いに気づき始める。人を殺めるとは何か。人が生きていくとは何か。亡くなった人間が残すものとは何か。そして、いつか、彼女たちの長い夜は明けるのだろうか?受苦の時代に暮らす全ての日本人に贈る、感涙の大団円。
(「BOOK」データベースより)

シンクロニシティという言葉があります。
「意味のある偶然の一致」という意味です。これを言い出したのは心理学者のカール・グスタフ・ユング。
若干スピリチュアル方面に流れ行く傾向があるために好みの分かれるユング先生ではありますが、確かに人生の中で、ただの偶然ではおさまりがつかないほどの“シンクロニシティ”を経験したことがある人も多いはず。
 

この本「いちばん長い夜に」でも、ひとつのシンクロニシティがあります。
架空の人物、芭子と綾香の経験した出来事と、作者の乃南アサが経験した出来事。
シンクロニシティ。意味のある偶然の一致。その偶然には、どんな意味があったのか。

いつもは陽気でお喋りで、芭子を笑わせたりハラハラさせることの多い綾香の中には、ぞっとするほどの淋しさのようなものが、深く、しっかり横たわっている。世話好きで、お人好しで、この近所でも人気者になりつつある綾香が、ふとした拍子に垣間見せる何者をも寄せつけまいとする冷たい雰囲気に、誇張でなく、芭子は背筋が薄ら寒くなるような感覚を抱くことが何度かあった。そして、思うようになった。
自分たちは互いに一線を越えた経験を持つものだが、芭子の越えた一線と、綾香の越えた一線とは、思っている以上に違うのかもしれないと。

これまでは綾香を歳の離れた姉のように、精神的には依存する面も多かった芭子ですが、仕事が軌道にのるにつれ自信がつくようになり、徐々に世の中に出て行こうという気概が生まれるようになります。
そこで考えたのが、DV夫を殺した罪で逮捕収監されたために、自分の子供と離れざるを得なくなった綾香のこと。
 

親類縁者から縁を切られた者同士だけれども、いつかは祖母の残してくれた家を改装して、自分の店と綾香の店を一緒に出せるようになりたいという夢を持ち始めた芭子としては、これまで何くれとなく世話をやいてくれた綾香に何か恩返しをしたい。せめて、二度と会えなくなった息子の消息だけでも知らせてあげたい。
 

そんな綾香への気持ちと、いくばくかの冒険心を持って、芭子は綾香の地元・仙台に向かいます。
 

さて『芭子&綾香シリーズ』の作者である乃南アサも、芭子の旅路を綴る取材のため、仙台に向かいます。
 

その日に起こった、東日本大震災。

またごおっと音がして地面が揺れた。
三月十一日。午後三時過ぎのことだった。

このブログで最初にシンクロニシティの話をしたのは、本当のところは正しくないのかもしれません。
乃南アサが震災当日に仙台に行っていなかったら、そもそも東日本大震災が起こらなかったら、このシリーズはもっと静かで、平穏な結末を迎えていたのでしょう。
だから、これは「偶然の一致」ではない。乃南アサの体験から「いちばん長い夜」が描かれたのは、偶然ではなく、作者の意図によるものだ。そりゃ解ってます。
 

でも、芭子と作者が仙台で被災し、作者の生活と心持ちが変化したことによって、芭子と綾香の生活と心持ちが変化していく。
綾香の背負った罪。もの憑かれたかのように東北へボランティアに向かう綾香は、震災の犠牲者の生命の重さを垣間見ることによって、彼女が奪った“生命”の重さに、はじめて気付きます。

「つまり私は——初めて後悔したっていうことです。そういう人たちを見て、死んでも死にきれない気持ちでいるに違いない、赤ん坊からお年寄りまでの、あまりにもたくさんの仏さんたちを見てるうちに、ああ、何も殺すことはなかったんじゃないかって。私が逃げ出せばよかったんです。警察にでもどこにでも駆け込んで、周りに助けを求めて。生命だけは——奪っちゃいけなかったって」

綾香の地元がもともと仙台と設定されていたこと。芭子が次の章に進みだす準備をしていたこと。
身代わりになったイヤリングも含め、それらは何かのシンクロニシティと感じずにはいられない私です。

この物語が、まさかこういう終わり方をするとは、私自身もまったく予測していなかった。だが、生き残ったものは生き続けなければならない。体験したことを決して忘れることなく、胸に刻みつつ、それでも諦めずに。芭子と綾香とは、既に新たなステップに踏み出している。私がこのシリーズを終えた後も、彼女たちはさらにあらたな道を探して、歩んでくれるものと信じている。
(作者あとがき)

最後に、登場人物の「あらたな道」をご紹介。
件のズッコケ警官 高木聖大くんは、復興支援のために東北に派遣されていきました。
小森谷芭子は、そろそろペットショップでのパートを辞め、洋裁を専業にしようとも考えています。震災当日に知り合った男性 南くんとは、ゆっくり、ゆっくりと関係を構築中。
江口綾香は、ボランティア先で知り合った気仙沼のパン店で働くために、谷中の町を離れました。
 

ユングも言っている。『受け入れることなしに何も変えることはできない。非難は精神を解放するどころか、抑圧するだけなのだ』
作者あとがきの言葉を、私も信じましょう。
『彼女たちはさらにあらたな道を探して、歩んでくれるものと信じている』ってね。

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