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三浦綾子「続氷点」

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自分が辻口家を不幸にした殺人犯の子であるとして、自殺をはかった陽子。一命をとりとめ、父・啓造や母・夏枝からすべてを謝罪されたが、自分が不倫の末の子であったという事実は潔癖な陽子を苦しめた。陽子は実母・恵子への憎しみを募らせていく。一方、兄・徹はその恵子に会い、彼女なりの苦しみを知ることになる―。大ベストセラー『氷点』のその後、“真実”を前に苦悩する人々を描いた珠玉のドラマ。
(「BOOK」データベースより)

過日このブログで「氷点」を取り上げた際に『予断なく本を読みたいから ほんのむし には行かない!』と言った友人Mちゃんに、今日の記事「続氷点」を捧ぐ。

わはははは、ブログに来られなくて困るが良いさ!わはははは!
自らのSっ気により自らの首を絞める事になるを知る。自縄自縛!これ正にSの本懐なりや!(何言ってんだ私)

さて。「氷点」に続く「続氷点」であります。
本記事を最初にご覧頂いた方は、できれば以下「氷点」からお読み頂けると嬉しいです。できたらね。

三浦綾子「氷点」
辻口病院長夫人・夏枝が青年医師・村井と逢い引きしている間に、3歳の娘ルリ子は殺害された。「汝の敵を愛せよ」という聖書の教えと妻への復讐心から、辻口は極秘に犯人の娘・陽子を養子に迎える。何も知らない夏枝と長男・徹に愛され、すくすくと育つ陽子。

「続氷点」は“続”とタイトルにあるように「氷点」からの続きものになります。

「氷点」と「続氷点」は、いずれも朝日新聞に連載されていたのですが、その連載はワンツーパンチで行われていたのではなく、間には四年以上もの月日が経過しております。

ちなみに極私的な三浦綾子No.1の「塩狩峠」も、「氷点」と「続氷点」の間に発表されているのよ。

「氷点」が大ベストセラーになった事に気を良くして、二匹目のどじょうを狙ったにしては、スパンが長すぎる。

「続氷点」が売上目的の利益重視による執筆ではなかったとするならば、三浦綾子は、「続氷点」で何を続けたかったというのでしょうか。

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続きものなだけに、「氷点」の主要人物はそのまま「続氷点」でも登場しています。

つまり、だ。私が好きになれない人物層が、そのままオンパレードで続く。パレードは続く。

陽子ーっ!お前の優等生さ加減には、鼻がひん曲がる勢いだーっ!
料理の話をしていて『おだしでも、手をぬいたらすぐにわかってしまうでしょう。そのきびしさが好きよ』ってのは、ほんだし多用の私に喧嘩売ってんのかーっ!

枝ーっ!お前のオンナオンナ加減には、うんざりだーっ!
夫と息子に新しい服を買いつつ、娘の陽子には『陽子が少しでも美しく見えることに、加担したくはない』とブラウス1枚買うのも嫌がる、お前は白雪姫の継母かーっ!

啓造ーっ!養女とはいえ、まがりなりにも10年以上育てた娘を、オンナとして見るその目が気色悪いわーっ!
病院受付のアルバイトをする陽子と『帰り道に一緒に歩くのが唯一の楽しみ』とウキウキするのを辞めろーっ!

徹ーっ!常識人のようなフリをしてその実、今回の火種を作ったのはお前だーっ!
陽子の実母をお前が責めたてたから、文庫本上下巻に繋がるトラブルが勃発したんじゃないのかーっ!

…と、前回の流れのままに主要登場人物を祭り上げましたが、今回の「続氷点」では、既存の人物を上回る最大のトラブルメーカーが登場します。

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「続氷点」最大のトラブルメーカー。それは陽子の実母の息子。つまり陽子の種違いの弟となる男、達哉です。

達哉はさっと顔色を変えた。そして、ふいに立上がって窓のほうをにらんでいたが、陽子に向きなおり、
「わかりました。君って、大変えらいひとですよ、でも、尊敬される女なんて、ぼくはきらいだ」
と、いうや否や、ロビーを横切って出て行った。

大学で出会った陽子が、あまりにも自分の母に似ているがために近付いて懐く達哉ですが、もうその距離なし感はストーカーの域に達しています。

陽子を同じサークルに入るのは序の口として、中庭でも食堂でも、陽子の顔さえ見ればバリバリ近付いてきて、相手の都合はノープロブレムで懐く・懐く・懐く。

うら若き女性の下宿に上がりこむのは、マナーとしてどうかと思うのよワタクシ。

LOVE、長じて陽子LOVEの達哉は、陽子に近付くにつれて自分の母と陽子の関わりに疑問を抱きます。

「達哉さんは、本当におかあさまが好きなのね」
「……」
達哉の唇がかすかに歪んだ。
「そんなに好きなおかあさまなら、たとえ何をしたって、ゆるして上げるべきじゃない?」
「いやだ。ぼくは母が美しいから好きなんだ。もし、そんな…うす汚れた人間だとしたら、決して許しゃしないよ」

自他共に認めるマザコン、そして強烈なワガママKYは、しつけの出来ていないスピッツ?のように常にキャンキャンわめく。こいつが出てくるだけで煩いったらありゃしない。

陽子に相手にされない事に憤った達哉は、ついに陽子を車で拉致。助けに行った陽子の元カレ北原を車で轢く暴挙に。北原さん、不幸にして右足を切断。

達哉ーっ!
洒落になってねーぞ、達哉ーっ!!!

……と、まあ、茶化したような事をブログでは書いていますが。
実際のところ、総じて読んで感動を覚えないかといったら、決してそうではないのです。

「氷点」も「続氷点」も、主要登場人物に感情移入できないというのは事実ですが、その、それぞれの欠点や悪癖、過ちこそが“ひと”である所以であると、ふと思い返して気付く時があります。

過ちが多い人間であるからこそ、許しあうことができる(のかもしれない)と、作者の三浦綾子は言いたかったのかもしれない。

私はキリスト教には縁が無い人間ですが、それでも「続氷点」のラスト、陽子が夕陽に燃えあがった流氷を見て神の啓示を受けるシーンでは、素直に感動します。

(何と人間は小さな存在であろう)
あざやかな焔の色を見つめながら、陽子は、いまこそ人間の罪を真にゆるし得る神のあることを思った。神の子の聖なる生命でしか、罪はあがない得ないものであると、順子から聞いていたことが、いまは素直に信じられた。この非情な自分をゆるし、だまって受け入れてくれる方がいる。なぜ、そのことがいままで信じられなかったのか、陽子は不思議だった。

燃える流氷を見て陽子が、そして読者が『ゆるし』を知るのにかかった月日が「氷点」と「続氷点」の間の四年間なのかもしれません。

三浦綾子め。勿体つけやがって…。

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