真保裕一「奇跡の人」

スポンサーリンク

31歳の相馬克己は、交通事故で一度は脳死判定をされかかりながら命をとりとめ、他の入院患者から「奇跡の人」と呼ばれている。しかし彼は事故以前の記憶を全く失っていた。8年間のリハビリ生活を終えて退院し、亡き母の残した家にひとり帰った克己は、消えた過去を探す旅へと出る。そこで待ち受けていたのは残酷な事実だったのだが…。静かな感動を生む「自分探し」ミステリー。
(「BOOK」データベースより)

ねえ、知ってる?(豆しば風に)
『奇跡の人』って、よくヘレン・ケラーの事を指すと思っている人が多いらしいのだけれど、実は『奇跡の人』は、“奇跡の仕事を成し得た”ヘレンの家庭教師のサリバン先生なんだよ。

真保裕一の「奇跡の人」とは全く関係ない話ではありますが。

060628

真保裕一「奇跡の人」の惹句に『自分探しの旅に出る——』と書いてありますが、“自分探し”キーワードに敏感に反応する層ってーのが世の中には多うござんす。
道に迷うのは若者の特権と、チューリップハット被ってフォークギターかき鳴らして歌う(古い)のは大目に見ますが、30歳過ぎても“自分探し”してる層は、女子はスピリチュアルに走ったり、男子はインドに旅立っちゃったりするかもなので、遅いハシカはご用心☆

そんな“自分探し隊”の皆さんが、惹句につられて「奇跡の人」の文庫本を、つい手に取ってみちゃったりしたならば。
真保裕一の「奇跡の人」は、そういう話では、ありません。

交通事故で瀕死の重傷を負い、記憶の全てを無くしてしまった主人公、相馬克己31歳。
記憶喪失といっても「ここはどこ?わたしはだれ?」ではなく、日常生活を送る上の根源的な記憶も全て消えた、赤ちゃんレベルまで退行した状態。
相馬克己は肉体は31歳ながらも、記憶と知識、知能に至るまで赤ん坊からの再スタート。この小説の時点ではおよそ13~14歳程度と推測されます。

唯一の保護者である母親の死を機に、8年間も暮らしていた病院を出て一人暮らしをはじめるあたりから「奇跡の人」はスタートするのですね。
小説の前半は、脳死寸前の状態から日常生活を送れるまでに回復した“奇跡の人”として周囲から励まされる様子やら、無垢な子供(31歳だけど)が新しい人生を一所懸命に生きて、社会に慣れようと努力する姿がメインに描かれていきます。
ここらへんがねえ、結構感動的なのよ。「がんばれー、がんばれー」と母目線。
最初の内は胡散臭い目で見られていた隣人と心を通わせるくだりなどは、心温まるものがあります。

しかしだね。
相馬克己が日常生活に少しずつなじんできて、交通事故を起こす前の自分はどんな人間だったんだろう?と“自分探し”をはじめるあたりから、段々話がキナ臭くなってくるのです。

家捜しして昔の卒業証書を探したり、住民票を取り寄せて以前の住所を調べたりと、精神年齢13~14歳にしてはお利口かつアクティブに“自分”を探す主人公ですが、調べるうちにどんどん、アンタッチャブルな匂いがプンプンしてきます。
「悪いこと言わん、止めとけ。そっとしとけ」と読んでいる側としては相馬克己の肩をポンポン叩きたいところですが、まあ相馬克己ったらガンコ者。
病院に忍び込んで過去のカルテを漁ることまでしちゃいます。
「やめとけー、やめとけー」と、読者がおいてけ堀の亡霊と化していることにも気がつかず。

主人公は事故以前に果たしてどのような生活をしていたのか、とか、過去の知人や友人や恋人との邂逅、とか、小説の後半にはまた色々とあるのだけど…。
やっと私 さくらは気がつきました。
この小説は、日本版「アルジャーノンに花束を」だ。

ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」をご存知ない方のためにちょっとご紹介を。
「アルジャーノンに花束を」は、知的障害者の若者チャーリーが、最新の脳外科手術によりIQ185の知能を持つ天才となる話です。
チャーリーは頭が良くなって幸せ…かと思いきや、それまで知能が低かったが故に知らなくてすんでいた、同僚のイジメとか、濡れ衣とか、親に捨てられた事とか、周囲から馬鹿にされていた事を知ってしまいます。
かつ、知能は高くなっても精神的な成長はしていないチャーリーが、自らのプライドに翻弄され、自分自身との葛藤にも苦悩します。

やがて社会から孤立し、孤独なチャーリーが、手術の後で知った事実は。
手術により発達した知能の上昇は一時的な現象であり、一定期間を経た後には知能が低下していくという実験結果。
知能の低下とともに正気も失い、実験マウスの“アルジャーノン”のように、手術前よりももっと悪い状態に陥ってしまうという事実でした。

真保裕一の「奇跡の人」も、然り。
“自分探し”を始めた相馬克己は、手術で知能が高くなったチャーリーのように、これまで知らなかった過去と、周囲からの目を知ることになります。
そして自分自身も、小説の前半とは人が違ったように、自己中で身勝手なストーカーに変貌。
相馬克己同士の『ぼく』と『おれ』のせめぎあいにより、小説はラストの葛藤まで突き進んで行きます。

読んでいる側としては「だから止めとけって言ったじゃんかよ…」
小説前半のハートフルウォーミング感は後半ではまるで無し。読んでいて、なかなかに辛いものがありますわ。
まあ、でも、「奇跡の人」はミステリなんで。24時間テレビのドラマじゃないんで。
これから「奇跡の人」をお読みになる人は、前半のハートフルウォーミング描写に騙されないようにご注意あそばせ。

え?
「奇跡の人」の相馬克己は、結局どうなったのかって?それは小説読んでよ。
今知りたい?じゃあ、仕方がないからヒントだけあげる。

「アルジャーノンに花束を」と同じだって言ったでしょ。
「アルジャーノンに花束を」は、お手紙で終わったよね。

『ついしん。
 どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください。』

わかるでしょ。
わからないってことが、わかるでしょ。
チャーリーも相馬克己も、知って幸せになれたのか、知らない方が幸せだったのか。

この記事が気に入ったら シェアをお願いします♪

フォローする

スポンサーリンク
レビュアー: さくら
さくら
レビュアー:さくら
ほんのむしの書評を楽しんで頂けましたら、また読みに来て頂ければ幸いです。皆様のお声がさくらの『やる気スイッチ』です!

いいね!と思ったらぽちっとな♪
以下のブログランキングに参加しています。
皆様のクリックがさくらの励みになります♪
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  
トップへ戻る