柚木麻子「本屋さんのダイアナ」

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私の呪いを解けるのは、私だけ。「大穴」という名前、金色に染められたパサパサの髪、行方知れずの父親。自分の全てを否定していた孤独なダイアナに、本の世界と同級生の彩子だけが光を与えてくれた。正反対の二人は、一瞬で親友になった。そう、“腹心の友”に―。少女から大人への輝ける瞬間。強さと切なさを紡ぐ長編小説。
(「BOOK」データベースより)

ダイアナという名前を聞いて、まずイメージされるものは。

ダイアナ妃?悲劇のプリンセスですねえ。ダイアナ・ロス?マイケルジャクソンと仲良しね。靴のダイアナ?実家で革抜きしてましたよ。
そして、ある一定層の人の脳裏に浮かぶのは、「赤毛のアン」の腹心の友、ダイアナ。

とはいえ。
この「本屋さんのダイアナ」での“ダイアナ”で名前の由来となっているのは、作中の架空小説『秘密の森のダイアナ』の主人公です。
ストーリー的にはアンの親友としてのイメージも濃厚ですけどね。ちと混乱しそうな方への明記など。

とうとう、自己紹介の順番が来た。ダイアナはしぶしぶ立ち上がった。教室中の視線がこちらに集まるのがわかる。根元が黒くなり始めてパサパサした金髪頭、くだらないアニメのTシャツ、とがった顎、やせっぽちの薄い体。自分でも嫌になるくらい鋭く大きな目に、皆が好奇のまなざしを向けている。
「矢島ダイアナです。本を読むのが好きです」

ダイアナ=大穴は、競馬好きの父親が“大穴”当ててラッキーな人生を送れるようにと命名された名前。
いやー、すがすがしいほどドッキューンなお名前ですね!DQN又はキラキラネームか。過去にご紹介の「キラキラネームの大研究」の登場ネームにも負けないくらい堂々としたキラキラっぷりです。ひとみもびっくり。

子供の名付けからも想像ができる通り、ダイアナの母はバリバリDQNのキャバ嬢シンママです。あ、すみませんね全国のキャバクラ勤めのシングルマザーの皆さん。職業に貴賎ですが、ここはひとつ許して。
性格的に生真面目なダイアナ本人が、名前も、母の姿も、職業も、自分の境遇全てが嫌でしょうがないんです。

それに対して。
ご両親の『色々な境遇のお友達と触れあうことで社会体験を』と、まるで友人付き合いを動物園のふれあいコーナーのように扱う思考が見え隠れする教育方針に従い、ダイアナと同じ公立小学校に通う彩子ちゃん。
お父様は大手出版社の編集者、お母様は料理研究家の、リベラルを自認しつつその実ゴリゴリにコンサバーティブな家庭の子女です。
大人好みの“上質でシンプル”なものに囲まれて育つ彩子ちゃんとしては、周囲のお友達の日常にあるテレビ、漫画、ゲーム、ジャンクフードなどが羨ましくって仕方がない。

対極な家庭で育ったダイアナと彩子が、初めて教室で出会った日から。
アン・シャーリーとダイアナ・バーリーみたいな、ヒロイン二人の友情物語がはじまります。

ダイアナと彩子みたいにね、あまりにも違う家庭環境の子供だと、普通じゃ親があんまり良い顔しないのが世の常ですよ。特に彩子側の方ではね。
『おかあさん、あのコと遊ぶのは賛成できないわぁ~』とか、よく言いがちでしょ?
だから「本屋さんのダイアナ」の中で、互いの両親が相互の子供を気に入り、家族ぐるみのお付き合いをしたりする流れには、ちょっと違和感を感じます。『マジかぁ~?なんかウラがあるんじゃねーの?』って、眉にツバつけちゃいますね。
その違和感は、ストーリーが進むにつれて解消してきます。はい、ちゃんと理由があるんですよ。
どういう理由かってのは、ここでは明言を避けますけどね。

ダイアナも彩子もあの時はまさか、次に言葉を交わすのが十年後だなんて思ってもみなかった。

「本屋さんのダイアナ」は、ダイアナと彩子、それぞれの少女達が、それぞれの“傷”を受け入れて自己肯定できるまでのプロセスを描いた小説です。
ちょっとした行き違いをしたまま小学校を卒業して離れ離れになった二人は、その後それぞれ、人生ちょっとだけ生き辛くなります。

ダイアナの生き辛さってのは想像しやすいですよね。DQNネームでDQN家庭、底辺層の生活が約束されているようなものです。
生まれに反発するように生真面目で頑なな性格になったダイアナは、いつか改名して父親に逢うことができれば、この生活から脱却できるような気がしている。えっ?父親も競馬好きのダメ親父じゃないのかって?いやいや、それがそうでもないらしいんですよ。

彩子の生き辛さってのは、言うなれば、自分の弱さを認められない弱さかな。
籠の鳥の閉塞感から、お嬢様大学への推薦を辞退して新たな環境を求めた彩子に起こった出来事。それは大学一年生の春の出来事。

少女二人は、自分が受けた“傷”を、おおいかくそうと努力します。
ダイアナは違う自分になることで、受けた差別を無かったことにしようと。
彩子は自分の心を騙すことで、受けた性被害をなかったことにしようと。

それぞれに拘泥している期間、二人は間接的には交流する事はありますが、直接に面識はしません。
二人が再び出会うのは、十年を経て、二人が大人になってから。
年齢という意味での大人ではなく、精神的な大人という意味です。紆余曲折を経て、それぞれ自分を認められるようになった時に、お互いをもまた認め合うことができる。
アン・シャーリーとダイアナ・バーリーが成長して、また新たな形での友情を育むみたいにね。

この小説自体は面白いし、なかなか良い本だとは思います。
しかし個人的な感想としては、ダイアナと彩子が『赤毛のアンシリーズは、アンが大人になるとつまらない』という感想に物申したくて致し方がない。
私的には彼女たちが面白くないという「アンの愛情」からグッと興味が増し、シリーズ後半のアン既婚者時代の方が好きなので。

ダイアナよ、彩子よ、キミ達の邂逅が一段落したら、ちょっとそこまで顔貸せや。
『赤毛のアン』ベストの一冊について、熱く激論を交わそうではないか。

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レビュアー: さくら
さくら
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