村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」

スポンサーリンク

『羊をめぐる冒険』から四年、激しく雪の降りしきる札幌の街から「僕」の新しい冒険が始まる。奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら「僕」はその暗く危険な運命の迷路をすり抜けていく。七〇年代の魂の遍歴を辿った著者が八〇年代を舞台に、新たな価値を求めて闇と光の交錯を鮮やかに描きあげた話題作。
(「BOOK」データベースより)

161202

「難しいことだよ、とても」と僕は言った。「でもやってみる価値はある。ボーイ・ジョージみたいな唄の下手なオカマの肥満児でもスターになれたんだ。努力がすべてだ」

この小説のあらすじを書いても、それで『よし!ダンス・ダンス・ダンスを読もう!』という気にはきっとなれないでしょう。

やってみる?
「高度資本主義社会で文化的雪かきをする僕がいるかホテルに行ったら羊男が待っていた。アメの子供ユキとハワイに行ってサーフィン・U.S.A.の振りをして職業的男性乳母になり、エレガントにガスバーナーへ火をつける五反田君はマセラティを海に沈め、猫のいわしは西友のレジ袋の中で眠る」

ほら、読みたくなるかい?

かといって“僕”のインナーワールドの旅を追いかけるには、ちと私には荷が重過ぎる。そもそも「ダンス・ダンス・ダンス」は「風の歌を聴け」からはじまる三部作の続きものという位置になるので、先に「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」と「羊をめぐる冒険」を読みやがれコンチキショー、という結論になってしまいます。まあ、だから、ここで書評的なものは期待しないで(このブログの存在意義を全否定)

では、私がここで何を取り上げたいのかというと、“僕”に転化した作者・村上春樹の、80’sディスコグラフィー及びバンド名のディスっぷりです。もう、大変よ。

ヒューマン・リーグ。馬鹿気た名前だ。なんだってこんな無意味な名前をつけるのだろう?

ジェネシス—また下らない名前のバンドだ。

「警察は楽しかった?」
「ひどかった」と僕は言った。「ボーイ・ジョージの唄と同じくらいひどかった」

マイケル・ジャクソンの唄が清潔な疫病のように世界を覆っていた。それよりは幾分凡庸なホール&オーツも自らの道を切り開くべく健闘していた。想像力の欠如したデュラン・デュラン、ある種の輝きを有しながらもそれを普遍化する能力が幾分不足した(不足していると僕には思える)ジョー・ジャクソン、どう考えても先のないプリテンダーズ、いつも中立的苦笑を呼び起こすスーパー・トランプとカーズ…その他数知れぬポップ・シンガーとポップ・ソング。

小林克也の『ベストヒットUSA』ストライク世代の私としては、当時のバンド名が次々と登場するのは懐かしさが溢れる反面、あたるを幸いなぎ倒す勢いの村上春樹に打ち倒されていく彼等に涙、また涙。
想像力の欠如したデュラン・デュランと言われて、つい納得してしまうのは、ああ、過ぎ去りし若き日々よ。

引用ばっかりですみませんが、まだ続きます。

ビーチボーイズが音楽的に不適当でホワイト・ハウスを追われるとしたら、ミック・ジャガーは三回火あぶりにされてもおかしくない

「トーキング・ヘッズ」と僕は思った。悪くないバンド名だった。ケラワックの小説の一説みたいな名前だ。
「語りかける頭が俺の隣でビールを飲んでいた。俺はひどく小便がしたかった。小便をしてくるぜと俺は語りかける頭に言った」

ちなみに、私がワールドミュージックに一時期はまったのはトーキングヘッズのデビッド・バーンに由来しています…って全然関係ない話ですね。

僕らは何杯めかわからなくなったブランディ・ソーダを飲み、ポリスのレコードを聴いた。ポリス、また下らないバンド名。どうしてポリスなんて名前をつけるんだろう?

アダム・アント。
なんという下らない名前をつけるんだろう。

まってー!まって村上さーん!アダム・アントは人名ー!
それはアダムの親に言ってー!

基本的に“僕”は60~70年代アゲ、80年代サゲのスタンスをとっていますが、彼にかかっては60’sも70’sも総倒し。

僕はハンドルを握りながら、僕らがティーン・エイジャーだったころにラジオからながれていたくだらない音楽を幾つか思い出してみようとした。ナンシー・シナトラ。うん、あれは屑だった。モンキーズもひどかった・エルヴィスだってずいぶん下らない曲をいっぱい歌っていた。トリニ・ロペスなんてのもいたな。バット・ブーンの大方の曲は僕に洗顔石鹸を思い起こさせた。フェビアン、ボニー・ライデル、アネット、それからもちろんハーマンズ・ハーミッツ。あれは災厄だった。次から次へと出てきた無意味なイギリス人のバンド。髪が長く、奇妙な馬鹿気た服を着ていた。いくつ思い出せるかな?ハニカムズ、デイブ・クラーク・ファイブ、ジェリーとペースメーカーズ、フレディーとドリーマーズ…きりがない。死後硬直の死体を思わせるジェファーソン・エアプレイン。トム・ジョーンズ—名前を聞いただけで体がこわばる。そのトム・ジョーンズの醜いクローンであるエンゲルベント・フンパーディング。何を聞いても広告音楽に聞こえるハーブ・アルパートとティファナ・ブラス。あの偽善的なサイモンとガーファンクル。神経症的なジャクソン・ファイブ。
同じようなものだった。

ここでは“僕”が否定的な評価をしている箇所だけ抜粋しましたが、それとは反対に肯定的な評価をしている歌・歌手・バンドに関する記述も多くあります。
「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいると、全体に流れるディスコグラフィーに同窓会的な気持ちを覚えてなりません。それが否定的であれ、肯定的であれ、昔好きだったポップソングの名称を聞くと、その当時のことがちょっと思い出されるでしょ?
そういう懐かしさでも楽しめるようになるのが、昔に読んだ本を再読するひとつの楽しみ方とも言えるのではないでしょうか。
『唄の下手なオカマの肥満児』とまで酷評されるボーイ・ジョージだけは、ちょっと可哀そうだけどね。

「でもどうしてそんなにボーイ・ジョージばかり目のかたきにするのかしら?」とユキは言った。
「どうしてだろう」
「本当は好きだからじゃないの?」
「今度ゆっくりそれについて考えてみよう」と僕は言った。

この記事が気に入ったら シェアをお願いします♪

フォローする

スポンサーリンク
レビュアー: さくら
さくら
レビュアー:さくら
ほんのむしの書評を楽しんで頂けましたら、また読みに来て頂ければ幸いです。皆様のお声がさくらの『やる気スイッチ』です!

いいね!と思ったらぽちっとな♪
以下のブログランキングに参加しています。
皆様のクリックがさくらの励みになります♪
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  
トップへ戻る