曽野綾子「砂糖菓子が壊れるとき」

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人並みはずれて美しく豊かな肉体に、無垢で傷つきやすい精神を秘めた砂糖菓子のような女千坂京子。孤独を恐れ、保護者を求めてさ迷う京子は、思いもかけぬ大スターへの道が開きかけたとき、電話の受話器を握りしめたまま冷たく横たわっていた-謎の自殺を遂げたマリリン・モンローをモデルに、作者自らの人生に対する深い懐疑と不安とを結晶させた、愛らしく、哀しい女の悲劇。
(新潮文庫「砂糖菓子が壊れるとき」内容紹介)

satougasi

この本は私の母が持っていた本で、確か初読は中学生の頃だったような気がします。
マリリン・モンローをモデルにした小説で、当時のさくらはマリリン・モンローについても「ぷぷっぴどぅ~」くらいの印象。
小説にもさして感銘を受けることもなく、母の本棚で並んでいた表紙だけが記憶に残っています。

つい最近のこと。テレビにマリリン・モンローの映る姿を観て、唐突に「砂糖菓子が壊れるとき」を思い出した私。
Webで検索してみたら、え?「砂糖菓子が壊れるとき」って、曽野綾子の小説だったの?

曽野綾子といえば保守派の論客。最近でも氏の発言は何かと話題になっておりますね。
Webで検索すると、彼女の発言とその影響や炎上っぷりがザクザクと。この問題発言量産度に対抗できるのは百田尚樹くらいか。

しかし、曽野綾子のスタンスは何も最近になって変化した訳ではなく、昔から『才女時代』の代表として、婦人公論的女性活動の旗手として気炎を上げていらしたようなのです。
そんな彼女にとって、マリリン・モンローという“白痴美”“肉体派女優”の存在は、正反対の極であった筈なのではないか。

どうして、曽野綾子が、マリリン・モンローを描いたんだろう?

「砂糖菓子が壊れるとき」のあらすじを知りたければ、マリリン・モンローの生涯を調べればそれでおおむねOK。
売れない女優時代からはじまり、ヌードモデルの撮影、警官・野球選手・劇作家との結婚と離婚、睡眠薬の常習と謎めいた死の顛末まで。
舞台をハリウッドから日本に置き換えただけで、殆どモンローの経歴をなぞらえています。登場しないのはケネディ大統領くらいかな?

3回も結婚して、それ以外にも数々の男性遍歴がありながらも、千坂京子=マリリン・モンローを曽野綾子は純粋無垢な女にしています。
曽野綾子が描いた千坂京子=マリリン・モンローは“エデンの園で知恵の実を食べそびれた女”
イノセントで、ちょっとだらしなく、可愛い「いい子、いい子と頭を撫でてやりたくなるような」リンゴを食べられなかったイブ。

「いい子、いい子」の“白痴美”千坂京子が欲しいのは、男性ではなく食べそびれたリンゴ。
「清らかに、健康になりたい。土人のように強くならねばならない」と願う千坂京子は、東京のカトリック系大学の聴講生になります。
(実際にもマリリン・モンローは、UCLAの聴講生になっていた事があります)

大学に通う学生達が着る、ブルーの制服にあこがれて。

私はその制服が羨ましくてならなかったけど、聴講生には許されていないのだった。でも私はこのみだらな男の匂いのしない環境に張り切っていたので、大学に行く時は、素顔に口紅さえもつけなかった。冬は黒のセーター、黒スカート、黒靴下。少し暑くなり出したら、白いブラウスに白スカート、そして白靴にしよう、と私は心に決めた。今まで何を着て行こうかということで、一時間も決らないこともあった。あんな愚かしい真似はもう二度としないのだ。

だけど『清らかでありたい』という千坂京子の願いは、どこか他の人と比べてずれている。
彼女の願いがずれているというより、目指した環境がずれている。
輝かんばかりの美貌と豊満な肉体を具えた女性に対する、女性の悪意がわからないところがずれている。

京子が通う大学の学生が書いた、匿名の手紙に。

ことさらおかしなところにパッドをおいれになったり、下品な歩き方をなさったり、黒いストッキングを愛用なさったりするのはいかがなものでしょうか。黒いストッキングなど、Prostituteのはくものでございます。見るに耐えません。

手紙の中の《Prostitute》の意味がわからず、英和辞典で単語を調べた京子は、その意味が《娼婦》であることを知ります。
京子はそれでも、手紙の主の冷たい底意地の悪さから逃れるように『この手紙は私に教えてくれようとする優しさがあるのかも』と、すがらずにはいられません。
知恵の実を食べようと精一杯手を伸ばしても、上から叩かれて、枝を折られて、掴んだリンゴを取り上げられてしまう。
無垢で、愚かで、愛らしくて、哀しい女。曽野綾子は、千坂京子=マリリン・モンローを、そういう風に描いています。

マリリン・モンローが死去した当時、曽野綾子自身も不眠と睡眠障害で苦しんでいたそうです。
曽野綾子は、日頃、自分の思想とは対極に位置する“肉体派女優”の死に、鏡でうつした反対側の自分を見たのか。
それとも、才女たる自分の内に隠されている、近しいものを見たのか。

いずれにしても「砂糖菓子が壊れるとき」の中では、作者である曽野綾子は、主人公である千坂京子に対して、優しいのです。
弱いものに対する優しさなのか、愚かなものに対する哀れみなのか、それはわからないけれど。

でもね。
その優しさ(もしくは哀れみ)が、今現在の曽野綾子とつながらないの。
言葉の刃が相手に深い傷を負わせられることは、「砂糖菓子が壊れるとき」に出てきた匿名の手紙で知っているのに。

僭越ながら、曽野綾子さま。
その刃を、どうかお仕舞いになって。
弱きもの、砂糖菓子のように壊れやすいものは、やわらかな布で包んであげてくださいな。

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レビュアー: さくら
さくら
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