小松左京「復活の日」

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MM‐八八菌―実験では、摂氏五度で異常な増殖をみせ、感染後五時間で九十八%のハツカネズミが死滅!生物化学兵器として開発されたこの菌を搭載した小型機が冬のアルプス山中に墜落する。やがて春を迎え、爆発的な勢いで世界各地を襲い始めた菌の前に、人類はなすすべもなく滅亡する…南極に一万人たらずの人々を残して。人類滅亡の恐怖と、再生への模索という壮大なテーマを描き切る感動のドラマ。
(「BOOK」データベースより)

グレートマザーか、それとも妖精か。
「復活の日」の原作と映画を考える度に、どちらが勝ちか悩む私。

小松左京の長編SF「復活の日」は、かつて映画にもなったのでご存知の方も多いでしょう。
大河ドラマ「真田丸」で話題になった昌幸パパが若かりし頃に主演されている作品です。
いや、マジ、草刈正雄かっちょ良いから。観てみそ観てみそ。

若き草刈正雄にときめくと共に、可憐な妖精のようなオリビア・ハッセーに眼福、眼福。
そして美女とイケメンだけの映画ではなく、映画自体もほんっとうに良いです。大好き。

そして、もちろん原作の小説も。今読んでも全く古びない、非凡でリアルな『終末世界』
先日ブログでとりあげた「海の底」で、作者の有川浩がこんなことを言っていました。

「ホラを吹くために周囲の事実関係を詰めていく。そういう書き方が自分には合っているし面白い。と、いうことに『空の中』を書いたとき気がついて、『海の底』で定着しました」

でっかい大法螺を吹くために、かっちりと事実関係を詰めていく。トンデモ設定にリアリティを持たせるには、トンデモを補完するだけの考察と検証が必要となります。
「復活の日」も、それに同じ。
こちらのトンデモ設定は、『もし地上の人間が南極基地の人を残して死に絶えたら、一体どうなる?』

イギリスで秘密開発されていた細菌兵器“MM-88”
産業スパイに奪われたMM-88を乗せた飛行機が山中に墜落し、細菌が世界中にばら撒かれる事態となりました。

MM-88は摂氏マイナス10度程度ならば無害ですが、温度が高くなるにつれ増殖性や有害性が高まる性質があります。
飛行機が墜落したのは冬。雪山の寒さの中ではMM-88の影響もありませんでしたが、やがて春になって雪が溶け、雪解け水が川を流れ、太陽が水を蒸発させ、風にのって町へ、街へ…。

ヨーロッパの山中で割れたガラスケースのちっぽけな中身が、たんぽぽの綿毛のように地球全体を真っ赤に染めて行くのに、そう時間はかからなかった。
人々が“新型インフルエンザ”の流行に慌てふためく間もなく、たったの4ヶ月。
たった4ヶ月で、全ての人間——どころか、全ての脊椎動物が死滅してしまったのでした。

さて南極。
はい皆さん、先ほどのMM-88の説明は覚えていますね?寒い処では無害な細菌ですから、氷に閉ざされた南極大陸の人々はMM-88の影響を受けませんでした。
(ちなみに、本当に南極大陸では風邪を引かないらしいですよ)
とはいえ、南極基地で暮す人々からは、他大陸のパンデミックになす術もなく。本国との無線交信で、向こうの混乱と悲嘆を聞くだけが精一杯。
やがてその無線も途絶え、地球上の人類は、南極大陸にある各国の基地に居る人間、総計1万人足らずが残されるのみとなりました。
当時の世界人口35億人が、たった1万人に。

1万人も居るのか!すげーな!なんて思ったりもしますけどね。
でも、世界全体で考えたらたったの1万人。本国から補給や応援が来ることもない氷の世界で、協力しあわなければ生きのびられない状況。

「南極で生きのこるには……」とコンウェイ提督は語った。「一万人の人間全員の生きようとする熱意と努力とこの二つにうらづけられた創意と工夫あるのみである」

基地で必要な全てを補給に頼っていた、偉大なる消費大陸・南極。
国家間のくくりは必然的に瓦解し、新たな国家的集団“南極人”達の課題は山積みです。
食料はどうする?動力は?資源は?医療は?
そしてもうひとつ。大切なこと。
これからの、種の存続は?

さてここからが、冒頭に書いた私の悩みのタネとなるんですがね。
南極大陸の人口が1万人。そのうち女性は、たったの16人。
たったの16人。

1万人の性欲って問題も、確かにそりゃデリケートかつ重大な問題ではありますが、それよりもっと考慮しなければならない事情は、子供がいなければこの先の未来がないこと。
つまり、残された16名の女性達が、人類の未来のまさに担い手となった訳です。

映画では、その内の一人がオリビア・ハッセーであります。元ノルウェー基地の隊員マリト。
原作でマリトの役柄にあたるのは、初老の軍人女性イルマ。元イギリスかアメリカの人。

“聖娼婦”となった彼女達が、物語終盤で南極を救うための決死行に向かう主人公の慰安のために、一晩を過ごすことになります。

旅立ちの前夜、主人公の部屋で待っていたのは。

映画版→オリビア・ハッセー
原作 →初老のおばあちゃん

うーむー。ビジュアル的には、そりゃまあ、オリビア・ハッセーの方が美しいわあねえ。
主人公的にも、どうせするなら、ねえ?

でもね、原作の“聖娼婦”はリアルで、切ないのよ。

突然イルマは顔をおおって泣き出した。——裸の肩の肉がぶるぶるふるえた。
「泣かないでください……」吉住はおずおずとイルマの肩に手をふれた。
「ごめんなさい——本当をいうと、私、つかれちまってるの」イルマはすすり泣きながらいった。
「“ママたち”の中で、私が一番年上なのよ。女ばかりでなく、ひげづらの男たちまでが、みんな私のところへくるの、毎日毎日……何人という男が……私はいつも、陽気なおばさんで、母親で、すいも甘いも、かみわけて、色の道にも通じた年増なの。疲れはてたり、絶望したり、ヒステリーみたいになってる男たちを……毎日毎日……はげましたり、体でなぐさめたり……聖なる娼婦みたいに、もういままで何千人って男を相手にしたわ——これから先も……いったいいつまで、こんなことがつづくのかしら?こんな陰気な、一年の半分が夜の、氷と雪ばかりの世界で……」

で、まあ、その夜に起こった出来事ってのは説明を省略し。
主人公が出向いた『決死行』の詳細も、ここでは割愛します。

結論だけ言ってしまえばミッションは失敗し、南極大陸は放棄され。
主人公の吉住は、還る場所を失い。

それから6年後に、南米の最南端の地で。

オリビア・ハッセーが『ヨシズミ!』と叫んで走る姿の方が良いか。
老女が『おお…ヨシズミ…わたしの息子…』と主人公を胸にかきいだく姿の方が良いか。
いや、それが、いつも悩みどころで。

感動的といったらグレート・マザーのイルマに軍配が上がしますし、かといってオリビア・ハッセーの美しさは捨てて置けないし。
小説を読めば原作が勝ちだと思うし、映画を観れば映画が勝ちだと思う。
あー悩む。どっちが勝ちなんでしょ。あなたは一体どちらを勝ちだと思うでしょうか。

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レビュアー: さくら
さくら
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