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マリーナ・レヴィツカ「おっぱいとトラクター」

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母が亡くなって2年後、元エンジニアで変わり者の父が、ウクライナからやって来た豊満なバツイチ美女と結婚すると言い出した!父84歳、美女36歳。母親の遺産問題で仲の悪くなっていた2人の娘は一時休戦、財産とヴィザ目当てに違いないその女性から父を守るべくタッグを組み、追い出し作戦を開始するのだが…。ヨーロッパで話題騒然のイギリス発世界的ベストセラー、日本初上陸。
(「BOOK」データベースより)

「何これ」
図書館から借りてきたこの本を見て、娘が言った言葉。
 

まあ、娘がつい聞きたくなっちゃう気持ちもわかります。だって「おっぱいとトラクター」だよ?おっぱいだよ?!そんでトラクターだよ?!
自分の母がナンテモノを借りてきてるんだと思っても無理はない。
 

でも「おっぱいとトラクター」なんて本を見つけたら、借りてこずにはいられないって気持ちも分かっては頂けないでしょうか。
だって「おっぱいとトラクター」だよ?おっぱいだよ?!そんでトラクターだよ?!ジャケ買いならぬタイトル借りでございますよ。
 

娘の心が、引き潮のようにドン引いていくのをひしひしと感じながら、楽しく読みました「おっぱいとトラクター」
 

ちなみに、この本の原題は“A Short History of Tractors in Ukrainian”といいまして、直訳すれば『ウクライナ語版トラクター小史』
どこにおっぱい?!
 

このタイトルが原因で、原書は発売当初アマゾンで「農業関連書類」に分類されたという逸話もあります。アマゾン担当者の気持ちが分からんでもない。
ジャンル分けがしづらいだけじゃなくって、『ウクライナ語版トラクター小史』なんて本、まあ……読みたくなるようなタイトルじゃ、ないですよねえ。
 

邦題を『おっぱいとトラクター』に超訳したおかげで、タイトルにつられて手に取る人が続々と。ああ続々と。(私を含む)
これはなんと言っても、日本語版を発売した集英社の編集担当さんの英断でございましょう。人の性欲を利用して釣り上げるんだから、あざといわねえ全くもう!
 

キャッチーなタイトルに見合うように、小説はドタバタ喜劇の想から始まります。
84歳の男やもめのおじいちゃん。離れて暮らしていた娘の元に、一本の電話が入りました。
 

『わし、再婚しようと思うんだよね~。相手は36歳。美人で、おっぱいでかくてボ・ボーンなんだ!
 

ちょっと待てそれなんて加藤茶だ。

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ウクライナ移民のおじいちゃん、祖国から出稼ぎに来ていた介護ヘルパーのシングルマザーを、イギリス永住ヴィザを取らせる目的で婚姻したいと。
先日の「見知らぬ妻へ」「ラブ・レター」を彷彿とさせますね。まあ、結婚の目的は同じ。
 

老後のボランティア?なんて清廉なお気持ちだけではございません。新妻の爆乳に顔を埋めてウキウキ、娘に老いらくの性生活の相談までいたします。『84歳でも子作りは可能かのう…』再婚とあらば名実ともに!

「……油圧リフトがもはや正常に機能しない点は剣呑だが、まあ、ヴァレンチナが相手なら……」

おっ、おっ、おじーちゃーーーーん!
 

娘としては、突然に降って湧いた父の加藤茶問題には気が気ではない。
数年前のゴタゴタで疎遠になっていた姉とタッグを組んで、後妻の追い出し作戦にかかります。
 

さて、ここで疑問が生じた方もいらっしゃるでしょう。
「おっぱいは分かったよ。でも、何でトラクターなの?」
 

“A Short History of Tractors in Ukrainian(ウクライナ語版トラクター小史)”は、老いらくの恋に燃え盛るお父さんが執筆している本の題名です。祖国ウクライナの農業史に絡めながら、スターリン時代のウクライナの暗い歴史が記されています。
「おっぱいとトラクター」は家族のドタバタ喜劇を描きながら、もう一本、ウクライナの昔と今に関する、ずっしりと重い柱が立っています。

母さんはイデオロギーの怖さも知っていたし、飢えの辛さも知っていた。母さんが二〇歳の時、スターリンはウクライナの富農に政治的圧力をかけるため、飢餓を武器にしようと思いたった。母さんが学んだのはその時だ。以来、イギリスに移住して五〇年が過ぎてもなおこの教訓を引きずり、ふたりの娘たちにもこんこんと言い含めた。母さんには確信があった、テスコや生協といったスーパーマーケットの棚にあふれる食品の背後には、骸骨のように痩せ細り落ちくぼんだ目をした“飢餓”が潜んでいるんだと。“飢餓”はおまえたちを列車や荷車に詰めこみ、あるいは逃げまどう群集のただなかに投げこみ、死だけが待ち受ける旅路に再び連れ去ろうとしているのだと。

作者自身がウクライナ移民の子で、ドイツの難民キャンプで生まれています。小説内で描れている回想は、ほぼ自分および両親の経験に基づいているそうです。
で、この本の中では現代のロシアおよびウクライナ情勢に関しても批判的な記述をしている箇所が多々あり、そのためかウクライナ語版は発売されておりません。
ロシア語版はあるものの、かなーり改変されて、ロシアの暗部に関しては丸々カットされているとのこと。ロシア語が読める方、比較してみてー。
 

さて、先ほどの「おっぱい関連」につきましては。
 

おっぱいボーン!の美女と結婚して新婚生活ウキウキ…とはいかず、新妻ヴァレンチナはおじいちゃんの年金を食いつぶす金食い虫に変身。ロールスロイス(但しボロ中古)まで購入しちゃいますよ。
家事も碌にせず、老いた夫の世話もせず。ここらへんのおじいちゃんの生活ぶりの描写は、かなり悲惨です。同世代の父親を持つ娘の立場としては胸が痛い!
 

娘たちの追い出し作戦も継続中、裁判所に婚姻無効もしくは離婚の申し立てをして、なんとか二人を別れさせようと画策します。
裁判の場では、婚姻実績が無いことを証明するために、父親の油圧リフト能力まで、かなり突っ込んだ話が飛び交っています。うーむ、同世代の父親を持つ娘の立場としては……。
 

父の身と財産を守るために娘二人も必死、ウクライナからの脱出を図るためにヴァレンチナも必死、せっかく得たおっぱいボーンの美女を逃すまいとおじいちゃんも必死。
それぞれの欲がギラギラ交じり合って泥沼化していた状況下で、なんとヴァレンチナの妊娠が判明!
相手の父親、いったい誰だよ?!

姉さんの言うとおり、知らないほうがいいこともあるのかもしれない。いったん知ってしまったら、元には戻れない。母さんも父さんも、懲罰房の話はいっさいしなかった。そのおかげでわたしは、人間の心の奥の闇を知らずにこれたのだ。

こういうおぞましい秘密を胸に封印したまま生きていくのは、さぞ辛かったろう。そんな状態で野菜を育て、モーターバイクを修理し、子供たちを学校にやり、試験の点数に一喜一憂する、そうしたことを淡々とこなしていけるものなのか?

それを両親はやり抜いたのだ。

ユーモア小説の大筋をなぞりながら、絡み合うように綴られるウクライナの歴史。
 

家族のドタバタ喜劇を主として読むも良し、ウクライナの歴史に思いを馳せるのも良し。
私と同じく、タイトルに惹かれて手に取ったゲスな貴方でも、予想以上に読書の喜びが味わえることでしょう。
集英社の編集担当さん、キミの英断により楽しい一冊が読めた。貴女のおかげよ、ありがとう。

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