菅野久美子「超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる」

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死ぬ時は、誰もが一人。日本では、孤立状態1000万人、年間孤独死3万人。救済の手立てはあるのか?気鋭のノンフィクションライターが、知られざる最後の“後始末”の実態に迫る。
(「BOOK」データベースより)

菅野久美子 超孤独死社会 特殊清掃

【特殊清掃】
遺体発見が遅れたせいで 腐敗が進んで ダメージを受けた部屋や、殺人事件や死亡事故、あるいは自殺などが発生した 凄惨な現場の原状回復を手掛ける 業務全般のこと。
(「超孤独死社会」カバー見返しより引用)

昨日5/31にTVで、兵庫県の有料老人ホームで孤独死が発生したとのニュースを見ました。

なにそれちょっと意味がわからない。老人ホームってさあ、居場所とともに日常的な生活支援と安否確認がセットになっている場所じゃないの!?
死後2週間たってようやく発見されるくらいなら、お高い高級ホームじゃなくって、単なるアパートでも同じなんじゃないの!?

最近連れ合いを亡くして、いままさに老人ホームへの入居を検討中の我が父と家族にとっては、かなり衝撃的なニュースでありました。

とはいえ。
“孤独死”なるものは、何も高齢者だけの問題ではなくなっている昨今。
この本の中で紹介されている、2014年に行なわれたニッセイ基礎研究所のアンケート結果では、ゆとり世代が66万人、団塊ジュニア世代で105万人、団塊世代で33万人、75+世代で36万人が「社会的孤立が疑われる状況」にあるそうです。
つまり日本全国で240万人。

が、実は上記のアンケートは各世代の代表的年齢だけをピックアップしたものなので、間に含まれる年齢層も概算でカウント(筆者独自集計)すると、な・な・なんと約1000万人!
特に、30代~40代の年代に至っては、10人中3人が独身で一人世帯、孤立しやすい状態にあると推測されるとのこと。

私の周りでも、独居の30代、40代は非常に多し。
実のこと言うと数年前、旦那の友人が自宅で突然亡くなり、しばらくたってから発見されたことがあります。
私も会ったことがある彼は、本当に普通の人で、孤独死になりそうなタイプ(ってどんなタイプなんだ)には思えませんでした。

特に持病があった訳ではなく。
ひとり暮らしだったので、突然倒れても救急車を呼ぶ人もなく。
仕事のスケジュールが一般的な月~金勤務ではなかったために、会社に出社しないことを不審がられることがなく。
メールを送っていたご家族が、返信しない彼の元を訪問して発見できたことは、もしかしたら少しは幸運だったのかもしれない…と、彼のために思います。

彼のことを考えるにつけて、本当に今の日本は「超孤独死社会」なんだなあと思うのです。

この本「超孤独死社会」は、死後の腐敗した人体を移送した後の、いわゆる“事故物件”のエピソードと、特殊清掃を行なう業者に働く人々にスポットを当てたドキュメンタリーです。

葬儀社のスタッフは、棺を開け、遺体を覆っている白いカバーをめくった。
兄の顔はミイラのように皮膚が茶褐色になっていて、目玉の水分は失われていた。口元はくぼみ、倒れた箇所が少し歪んでいた。頭髪は、自らの体液を大量に吸い込んでベチャッと張りついている。しかし、どんなに変わり果ててもそこには兄の面影があった。

えーとですね。先に言っとく(引用する前に言え)
この本、グロ系が苦手な人にはちょっと刺激が強すぎるかもしれない。

人の死とそれに伴う清掃をグロと呼ぶのも失礼な話ですが、人間、死んだ瞬間から腐敗がはじまるそうです。

人体が固体から液状になる過程ではどんなことが起こっているのか、自宅内でそれが起きるとどうなるのか。
凄惨な現場の数々は、読むだけでも、ちょっとつらい。
多分、これらを取材して書いた菅野久美子さんは、もっとつらかっただろうと思います。
そして、これらの現場で実際に、いくつものいくつものいくつもの特殊清掃を行なっている人たちは、どんな思いで日々の業務にあたっているのだろうと。

ベランダからは、スッと心地よい風が吹き込んで、右から左へと頬をかすめていく。その風をそこに集ったみんなで感じていた。
ここは確かに、由紀子の亡くなった場所だ。壮絶な死の現場は、決して一面的な感情では割り切れない、淡い感情へと移っていった。
そう、この瞬間にすべてが終わって、そして、また始まる。陽太の天真爛漫な無邪気さは、その始まりを象徴するかのようだった。私は、その瞬間に立ち会えたことで、心の緊張が解かれ、救われたような気がした。
こんな笑顔とささやかな希望に溢れる、特殊清掃の現場があったっていい——。心からそう思った。

上記のような現場の終わり方は、数多くの特殊清掃の仕事の中でも稀であることが容易に想像できますが、それでもこんな風が吹くことができるのは、少しは救いにもなりますね。

いやホント、わずかながらでも笑みがこぼれるエピソードがないと、読んでてつらくって…。

孤独死のニュースを見たってね。知人が孤独死で亡くなったってね。この本を読んだってね。
それでもやっぱり私の中では、自分が“孤独死”を迎えるかもしれない、とは想像ができないのですよ。

ですけどね。
いまのご時勢、これからどうなるか、自分がどんな最期を迎えるかなんて、誰にもわからない。

非婚者も、バツ1も、中にはバツ2も。一人世帯はこれから、ますます増加していく。
実家で親と同居していても、一般的には、いつかは親は先に逝く。子どもと暮らしていても、いつかは子どもは巣立っていく。

私を含め、誰もが孤独死を迎える可能性がある現代。

死は、誰もが逃れられない現実である。
いつ、どこで、どのように死ぬのかはわからない。
けれども、死を迎えるに当たってあらかじめ準備をすることはできる。死別や別居、離婚などで、私たちはいずれ、おひとり様になる。そんなときに、どんな生き様ならぬ死に様を迎えるのか。1000万人の孤立する日本人たちも、決して自分とは無関係とは言えないはずだ。
そう、特殊清掃の世界を知るということは、きっと、私や本書の読者であるあなたの未来を知るということなのだ。だから、たとえ目をそむけたくなる場面があっても最後まで希望を捨てずにお付き合いいただきたい。
最後の1行まで、あなたの救済の書となることを願って。

この本は、救済の書となるのでしょうか。

特殊清掃は、孤独死の最後の救済となるのでしょうか。それは死んだ人にとっての救済なのでしょうか。それとも遺族への救済なのでしょうか。もしくは自治体や国への救済なのでしょうか。
私にはわからない。この状況をどうすれば良いか、わかる人いる?

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レビュアー: さくら
さくら
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